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「売り立ての舞台裏 」について
「絵画の黄昏ーエドゥアール・マネの闘争ー」(稲賀繁美著 名古屋大学出版会)は副題を「エドゥアール・マネ没後の闘争」としています。その「第3章 死後売り立ての政治学」の「1 売り立ての舞台裏 」についてまとめます。マネの没後は、マネの先導した絵画世界が正統な評価を獲得し、それなりの美術館に収まるように、さまざまな立場の人が動いていた様子が伺えます。マネは評論家によって評価が分かれ、その後の印象派がどうなっていくのか、私たちから見れば決着がついた美術史の既成事実ですが、当時の混乱を知ることも必要だろうと思います。テオドール・デュレによる好意的な見解を引用いたします。「デュレのこの見解には、世紀末藝術の平坦な賦彩法(クロワゾニスム)を通過した後の20世紀初頭の美学的見地から投影して、半世紀近い昔のマネの試みを正当化しようとする、遡及の逆遠近法が伺えるだろう。また、そもそも《草上の昼食》が本当にデュレのいうような、『スキャンダル』だったのか否かも、すでに触れたとおり重大な疑義なしとしないのだが、本章の論旨とのかかわりでとりわけ注目したいのが、デュレがことさらに、《草上の昼食》、《オリンピア》に、早くも『陽光』あるいは『明るい調子』が見られることを強調しようと腐心している点である。」売り立ての舞台裏では、マネの遺族による買い上げで価格を競り上げたことが判明しています。「この売り立てによってマネの印象派風の作品を買い支える市場を創設しようとする意図が主催者側にあったことを、これらの作品の評価額は偽りなく雄弁に物語っている。そしてこの戦略の裏には、これから先、マネを頭と頼んだバティニョール派、つまり今日印象派の画家たちとして知られているモネ、ピサロ、ルノワール、シスレーといった面々の市場と販路とを確立するための糸口を開こうとする意図まで透けて見える。思えばその売り立て責任者はその先印象派の最初期の批評家、歴史家として有名になるテオドール・デュレであり、その競売吏を努めたポール・デュラン=リュエルこそは、やがて将来印象派の画商として歴史に名を残すことになる人物である。」今回はここまでにします。