Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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秋分の日に表現多様性を考える
私は自らの手で陶土に触れ、それを塑造したり、彫り込んでカタチを表しています。そうしたアナログな創作行為は人類の曙期より何も変らず、言うなれば先史時代も人類は同じことをしていました。人類が神の存在を認め、それを具現化したのが彫刻の始まりかも知れず、相変わらず自分は古代から延々と続く原始的な表現方法を好んでいる次第です。こんなことを考えながら三連休の初日である秋分の日に、工房で陶彫制作に精を出していました。私がやっている原始的な方法から情報機器を操作する現代の方法まで、あたかもグラデーションのように表現が多様化している現状を考えると、私たちには不変なるものと変遷していくものがあり、そのどちらにも心を打つ力があればそれで良しとしている自分がいます。教職に就いていた頃、生徒たちからプロジェクション・マッピングをやりたいと言われ、大学の研究室に助言をしてもらいながら、体育館の内壁に映像を映し出しました。その生徒たちを連れて東京のデジタルアートミュージアムに出かけ、その裏側をチームラボの人たちに聞いたこともありました。別の学校では不登校生徒を校長室に呼んだところ、家でパソコンによる曲作りをやっていることを知り、その楽曲を聴かせてもらいました。中学生と言えどもこんな楽曲が出来ることに私は驚きましたが、これがボーカロイド(ボカロ)との出会いでした。作曲はピアノ等の楽器は使わず、パソコンに入力するだけで歌唱も編曲も含めて出来上がってくることに、現代の表現多様性を改めて知り、さらに現在ヒット中のJポップにはボカロの曲が多いことに、時代を感じずにはいられませんでした。ICTが作り出したアイドル初音ミクの存在もあって、これからの表現世界がどのように変遷していくのか、実は私は楽しみでもあります。忘れてならないのは、こんな表現をしてこんなことを訴えようとしているのは、あくまでも人間で、ICTは人間が効率よく表現を行なえる手段であるということです。そんな思いに耽っている私は、相変わらず原始人のように土を練っていて、今も先史時代を生きています。