Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

「見えざる革命」について
「絵画の黄昏ーエドゥアール・マネの闘争ー」(稲賀繁美著 名古屋大学出版会)は副題を「エドゥアール・マネ没後の闘争」としています。その「第3章 死後売り立ての政治学」の「2 見えざる革命」についてまとめます。自分が留意した文章を引用いたします。「実際には内輪による必死の買い支えでありながら、それが世間には売り立ての『成功』と映ずる。そんなにも危うく、多分に虚構じみた『成功』の実態。だがゾラ(エミール・ゾラ)への(テオドール・デュレによる)手紙には疑いもなく読み取れるその危うさは、事実の指摘において何ら批判されるべきところのない1902年の『マネ伝』の記述からはすっかり抹消され、すでにその痕跡すら認めがたい。しかしそうした抹消は、なにもデュレが為にしたというのではない。1902年に『マネ伝』を刊行できたその文化環境は、すでにあの84年の売り立てが『失敗』でありえたことへの配慮など、叙述の可能性からあらかじめ排除しているような環境だったからである。」マネの作り出した革命的な絵画世界を美術史に残すために、周囲がさまざまな画策を繰り返し、戦略を練っていたことがよく分かる箇所ですが、一方で否定的な批評もあり、そのやり取りが私の興味を誘います。「マネ藝術の神髄は《ル・ボン・ボック》や《剣をもつ少年》のごとき『あらゆる革命的な固定観念とは無縁に、藝術家の純粋な炎から生まれでた』作品であると見なすヴォルフ(アルベール・ヴォルフ)は、この反動的というほかない判断を楯にとって、マネの『革命的』な作品にはおしなべて駄作、凡作の烙印を押してこれを排除する権利を我がものとする。だがまさにそのマネの『革命的な固定観念』の衣鉢を継ぐのが印象派であってみれば、ヴォルフが『二束三文』と貶す作品ー以前の習作ーにまっとうな(ないしは『法外な』)商品価値を付与することが遺族側の至上命令となるのも当然だろう。繰り返すが、それをなくしては、マネの死後の栄光、ましてや印象派の将来などありえなかったからである。」近代絵画の象徴となる美術史に登場した印象派は、ある日忽然と登場したわけではなく、マネを革命的画家としての位置に押し上げ、そこから派生したものであったことが分かりました。今回はここまでにします。