Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

「老化と夭折」について
「絵画の黄昏ーエドゥアール・マネの闘争ー」(稲賀繁美著 名古屋大学出版会)は副題を「エドゥアール・マネ没後の闘争」としています。その「第4章 大藝術の終焉」の「1 老化と夭折」についてまとめます。「絵画という『藝術の老衰』にあって、その第一人者を体現する画家。若き日に詩人ボードレールからそう評されたマネは、しかし『円熟に達することなく』逝去した。」これはマネの擁護者として知られるテオドール・デュレの言葉です。「はたして絵画藝術の老衰期においてなお円熟することは可能なのか。円熟の不可能さと藝術の老衰とはいかなる関係にあるのか。円熟以前の老衰。マネが没して直後、その周辺ではマネをどのように評価していたか、と問うとき、まず問題となるのは、絵画藝術の老衰が喧伝された当時の環境にあってこの『円熟』はいかなる意味をもち得たか、との問いだろう。」私たちはマネが印象派の創始者として美術史に名を刻んでいることを知っていますが、それが定着するための強硬な推進者がいたことを本書は書いています。「すくなくとも1884年当時、マネの作品で一般受けするのは、晩年十年間の印象派風の作風ではありえなかった。デュレのまたそのことを十二分に承知のうえで、売り立ての作戦を練らなければいけない立場にあった。~略~マネは初期から一貫して『明るく見る』画家だった、とのある意味では強引な見解を、強引は承知のうえで敵方のみならず身内のゾラにまでも、ことあらためて説得(というより強弁)しなければならない状況が、売り立て責任者デュレにはあったことになる。~略~『感激過多の頌歌調と叙事詩的文体』を排し、もっぱら『公平かつ高所にたって(中略)批判や論争を呼びさまさない』冷徹な叙述を自ら旨としたデュレの文体は、周囲からも『あらゆる情熱から自由で』、『情熱的なまでに平静で』、その『少し冷たい明確さ』によって『叙述し、説明し、読者を納得させる』もの、と評価されていたし、デュレご本人もそうした世評をまんざらではなく歓迎していたからである。」今回はここまでにします。