Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

「美術批評家ゾラの軌跡」について
「絵画の黄昏ーエドゥアール・マネの闘争ー」(稲賀繁美著 名古屋大学出版会)は副題を「エドゥアール・マネ没後の闘争」としています。その「第4章 大藝術の終焉」の「2 美術批評家ゾラの軌跡」についてまとめます。文筆家エミール・ゾラはテオドール・デュレとともに画家マネを擁護した人物として知られています。この時代にマネの画業から印象派が出てきたことにはかなりの軋轢があったことが次のゾラが書いた文章から読み取れます。「定式は無限に分割され、かれらのうちの誰ひとりとして、その定式が画匠によって適用されている例など見られない。かれらはどれも先駆者であり、天才をもつ人物は生まれなかった。かれらの欲するところはよくわかるが、しかし定式を主張して万人を首肯せしめるべき傑作はどこを探しても見当たらない。以上が印象主義の闘いはまだ完遂されていない理由だ。かれらはかれらがこころみている作品よりも劣ったままに、どもりがちにしゃべるばかりで、きちんとした言葉を見いだせていない。そうはいってもかれらの影響が絶大であることにはかわりがない。というのも、かれらのみが可能な進化の途上にあるからだ。かれらは将来に向けて進んでいる。」印象派の発露を見た時の困惑したゾラの心情がよく伝わります。「あれほどまでに夢みたマネの完成・円熟とは、そして天才待望論とは、もはや完全なる幻滅でしかなかった。そのことを、ゾラはこの時驚愕をもって悟ったかのようだ。マネの眼という気質のうえに完璧な腕が備わることでゾラが夢見た定式=定則の実現とは、畢竟不可能な期待でしかなかった。それでの自分は『良き闘いを闘った』と居直るゾラだが、それも『一時代の進化を決定した者たち』がとどまるのは、しょせん『かれらの流派の廃墟のうえ』でしかないという、苦くも悲痛な挫折の認識においてのことだった。」時代の潮流が変る狭間で、その価値観が変動していく様子は大変なものだったと感じます。「老衰した大藝術の側から眺めれば欠点であり醜であったものが、その範疇を脱した20世紀の観点から回顧すれば長所であり美と把握し直される。マネが抱え込んだ悩み、そしてマネの没後その仲間たちが勝利を得るために尽力した闘争こそ、この古い範疇をいかに乗り越えて新しいいまひとつの視覚範疇を打ち立て、それを世間に広めてゆくかという、象徴的な次元での闘争だった。だが、その闘いにようやく出口の見えたとき、デュレは老友ゾラともども、自分たちがすでに老人といわれる世代に属していたことをも、この世紀の変わり目に否応無く悟ったのである。」今回はここまでにします。