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「絵画の黄昏ーエドゥアール・マネの闘争ー」読後感
「絵画の黄昏ーエドゥアール・マネの闘争ー」(稲賀繁美著 名古屋大学出版会)を漸く読み終えました。ルネサンス以降、ヨーロッパの画家は神話や歴史をテーマにした壮大で緻密な具象絵画を描き続けてきました。そこに描かれた人体は理想的なバランスを持ち、背景となる風景にも完璧な陰影が施されていました。そうしたアカデミックな絵画表現は19世紀末までサロンを中心に伝統を継承してきましたが、印象派が登場したことで価値転換が図られました。これは私が知る概略の近代絵画史ですが、そこには保守派と革新派との鍔迫り合いがあって、価値転換は容易でなかったことが本書を通じて理解できました。本書の最後に「本書の構想についての自註」があってこんな書き出しがありました。「本書は19世紀後半のフランス絵画を中心にして、従来の通説のいくつかを塗り替えるーというよりは、そうした通説を支えてきた水面下の、いわば舞台裏の事情を検証しようとする試みの一端として構想された。」内容としては「印象派をはじめとする前衛の画家たちが、アカデミーの旧守派にたいする闘争で勝利を収めてゆく道程として19世紀後半のフランス美術の大筋を描く従来の図式は、はたしてどこまで妥当するのか、この点を検証するためには、19世紀後半の『近代絵画史』の分水嶺とも見なされてきた、エドゥアール・マネをめぐる、あのあまりにも人口に膾炙したスキャンダルを再検討することが必要だろう。」ということが本書全体を通して論考されていたもので、時代の移行によって美的価値基準が変わってゆくとは、つまりこういうことなのだろうと察しました。私は一読者として論考の表面しか把握できませんが、研究者としては埋没した歴史のリアルをひとつずつ解き証し、真実に迫ることがその本領なのでしょう。それによって美術史はその都度塗り替えられていくものだと理解しています。本書に限らずさまざまな研究書を紐解く度に、その著述に隠された労苦を思わずにはいられません。生命を磨り減らす作業に頭が下がります。