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「青春荒亡」について
「一期は夢よ 鴨居玲」(瀧悌三著 日動出版)の「青春荒亡」についてまとめます。この章では画家鴨居玲の若かりし頃の交遊を描いていますが、この時期は記録に乏しく、伝承の部分を取り上げています。「三つ違いの玲と若林(和男)は、共に長身で同じくらいの背丈。独身で、二十歳代で、気ままで、まだ完全には社会化しきっていない。若林の神港新聞の月給は1万円で、その収入は、年齢相応の安サラリー。玲も田中千代学園の時間講師とカット描き程度で、若林の収入までいくかどうかだ。すなわち、共に貧しいのである。~略~神港新聞に四齣漫画を連載していた漫画家イワタ・タケオが、読売新聞に引き抜かれて、読売の方に描き始めた頃だから、昭和30年頃だったろう。~略~この時、イワタ・タケオは大変に羽振りがよかった。月収十万と言われ、いつも素寒貧の玲、若林には財閥のような存在だった。だから玲、若林と三人で呑み回ると言っても、実際はイワタがパトロンで、若い二人を呑ませていたとみた方が当たっていよう。」この頃、玲たちは街のヤクザと乱闘騒ぎを起こしていますが、ここは割愛します。東京の画廊で玲は、若林との二人展を開催しています。「玲も若林も、展覧会というものの実体をまるで判っていない。また、自分たちが、関西や神戸で、少しは知られた新人でも、東京では全然の無名であることが呑み込めてない。自分達が、銀座で展覧会開けば、黙っていても人は来る、美術記者が回ってくる、批評家が顔を出すと思い込んでいた。これはという者を来させるためには、事前にそういう者の所に案内状を持って挨拶しておくという手だても、全く考え及ばないから、していない。ろくに、世間に働きかけもしないのである。それで実際は新人同然なのだから、誰も来なくても、当たり前のことが当たり前に起こっているまでなのだ。」玲の女性関係にも触れた箇所がありました。「A子は~略~金沢の美専を卒業すると、直ちに乃村工芸に勤めていた玲を訪ねて上京。しかし玲はA子の情熱に、応えず容れずで、金沢に帰した。A子が一方的に玲に燃え、玲は冷ややかに突き放した形である。玲は、それで清算したと思い込んでいた。ところが、A子は、やり場のない想いで、自棄的になったようである。玲に似た顔立ちの男と金沢で、恋愛関係に入り、もつれて、その男と旅館に行き心中した。」さらに玲は間接的に別の少女を自殺に追い込んでいます。「玲は、この二つの事件から人間の生存自体に空しさとか原罪的性質とかを読み取り、自らの生存に対しても責めるような気持ちを根深く抱いてしまったようである。それに、元々破滅型の生き方だ。周囲の直接、間接の知り合いが相次いで自殺し、その他関係の無い者の自殺も幾つか聞いたりしたので、何やら自分の生もひどく負担と感じ、死にたい、と思い始めたようだ。以来、自らの自殺願望を、口にするようになった。」