Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

集合住宅「Raum」鍵の受け渡し
以前のNOTE(ブログ)に書きましたが、私の先祖代々が住んでいた旧家を、私の代で解体し、集合住宅「Raum」を建てました。その「Raum」が今日完成し、建築に携った建設業者とテナントシステムの不動産業者、懇意にしている税理士の方々を交え、鍵の受け渡しを行ないました。旧家は私が育った家でもあり、その頃、我が家は半農半商で、祖父が宮大工、父が造園業を営む傍ら、野菜などを作っていました。相原家の歴史を辿ると、我が家は本家ではなく分家として生計を支えていた時期があり、明治時代以前には小作人だったようです。祖母がよく私に言っていたことは、相原の先祖は勤勉に働いて、周辺の土地を徐々に手に入れ、大きな藁葺きの屋根の家を持つに至ったということでした。私の幼少期には屋根はトタンで覆ってしまったため、私には藁葺きの記憶がありません。家は「池の谷戸」と呼ばれていたので、家の近くに池があったのでしょう。私が中学生の頃に、内装をリニューアルして、玄関から台所まで続いていた土間をなくし、五右衛門風呂もなくなりました。一般家庭にある台所が作られ、それでも薪で焚く風呂釜はまだありました。屋根は瓦葺になり、二階建てにもなり、私の部屋は二階にありました。そんな旧家には母の一人住まいとなって暫く時間が経ちましたが、祖父母、両親とも他界したので、旧家をそのまま放置するわけにはいかず、今回は集合住宅を建てた次第です。因みに旧家を支えていた大黒柱は、相原工房に運んでもらいました。旧家の歴史をほんの少しでも残したいと思う私の気持ちがあって、大黒柱は捨てずに置くことにしたのでした。集合住宅建設は勿論銀行の融資をお願いしました。借金を返しながら、また固定資産税を払いながらのスタートになりますが、私の手元にも僅かながら収入が入ってきます。もとより稼ぎのない彫刻家なので、これは有難いなぁと思っています。先祖の残した財産で、放蕩三昧の如く創作活動に費やす私です。私が天国に行ったら先祖に説教を喰らいそうですが、芸術家の周囲への迷惑は私に始まったことではなく、数多の歴史上の人々が大なり小なり仕出かしています。これは言い訳ですが、どの時代も社会的ニーズがないものをやりたがる変人はいるものです。