Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

「ジョット」と「ダ・ヴィンチⅠ」について
「死と生の遊び」(酒井健著 魁星出版)の2つの単元をまとめます。ひとつは「哀悼と懐疑のフレスコ画」で画家ジョットについての論考です。もうひとつは「背景への誘い」でレオナルド・ダ・ヴィンチについての論考です。ダ・ヴィンチは前後半に分けて論じられているため、今回は「ダ・ヴィンチⅠ」とさせていただきました。まずジョットから始めます。「彼は、当時のすべての画家と同じく宗教画家であり、イエス伝、聖母マリア伝、聖フランチェスコ伝を画題に選んでいたが、しかし伝承上の過去の場面を、何とか現実の出来事のように描こうと試みてもいた。人物の表情に人間味を与えたり、人物の配置、画面の構図に臨場感を与えたりなどして、彼は、過去を今起きていることのように表していたのである。このような現実主義は、その後、より厳密に追求されて、イタリア・ルネサンス絵画の一大特徴になってゆく。”より厳密に”とは、遠近法表現に、よりいっそうの幾何学的正確さを導入するとか、人物の表情に、よりいっそうの運動感、柔軟さを与えるといったことであるが、しかしジョットは、ジョットで、このような現実主義を追究しながらも、同時にこの現実主義それ自体を絶対視せず、厳密に相対化していたのだ。」次にダ・ヴィンチについて取り上げます。「ダ・ヴィンチ家は、代々、公証人を継承してきた家系であったが、祖父アントーニオは無職をきめこんでヴィンチ村に留まり、農地からあがるわずかばかりの収入で満足していた。叔父のフランチェスコも同様である。都会よりも田園を、実務よりも無為を好む彼らの生き方がレオナルドの精神形成には大きかった。自然界の生命に立ち返って人の世を捉える深い態度を彼に培ったのである。」彼は画家ヴェロッキオの許で修行をしますが、彼が請け負った背景表現は秀逸だったようです。「彼自身の最初の作品、つまり若きレオナルドが初めて単独で(もしくは中心になって)制作した《受胎告知》(1472-73頃)よく見てみよう。場面は、この主題を描いた当時の多くの図像に反して、屋外に、自然のなかに、設定されている。そして、左右かなり隔たって配置された天使ガブリエルと聖母マリアの間の背景に、遠く靄のなかに消えてゆく広大な水辺と雄大な岩山が描かれている。最近の図像解釈学は、この背景に当時の聖母マリア信仰の象徴を見出した。すなわち岸沿いに広がる港町は、”海の星”としての聖母マリア、つまり難破した船人たちを救護する優しき港町だというのである。」