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小田原市の「江之浦測候所」
小田原市江之浦にある「小田原文化財団 江之浦測候所」に先日行って来ました。相模湾を臨む美しい景観を有する本施設は、自然を借景とする自然遺産の中に石材を多く配置した庭園や、日本の建築様式の再現や伝統工法を継承している造形群があって、それぞれに清々しい空間を感じさせてくれました。また、この空間解釈には現代性があり、全てがアートとして認識できるように工夫されていました。私個人としては、香川県高松市にある「イサムノグチ庭園美術館」を髣髴とさせる感覚を持ちました。古来から伝承される古美術と、たった一人が造形した現代彫刻の違いはあっても、同じ空気感を纏っていると私は勝手な解釈をしてしまいました。本施設の概説にこのような文章がありました。「アートは人類の精神史上において、その時代時代の人間の意識の最先端を提示し続けてきた。アートは先ず人間の意識の誕生をその洞窟壁画で祝福した。やがてアートは宗教に神の姿を啓示し、王達にはその権威の象徴を装飾した。今、時代は成長の臨界点に至り、アートはその表現すべき対象を見失ってしまった。私達に出来る事、それはもう一度人類意識の発生現場に立ち戻って、意識のよってたつ由来を反芻してみる事ではないだろうか。『小田原文化財団 江之浦測候所』はそのような意識のもとに設計された。悠久の昔、古代人が意識を持ってまずした事は、天空のうちにある自身の場を確認する作業であった。そしてそれがアートの起源でもあった。新たなる命が再生される冬至、重要な折り返しの夏至、通過点である春分と秋分。天空を測候する事にもう一度立ち戻ってみる、そこにこそかすかな未来へと通ずる糸口が開いているように私は思う。」これは設立者である現代美術家の杉本博司氏の言葉です。本施設の中を回遊してみて、私が気を留めた場所を敢えて選ぶとすれば、明月門と東大寺七重塔礎石です。明月門は鎌倉の明月院の正門として室町時代に建てられたものですが、関東大震災で半壊し、建築家仰木魯堂が解体保存させていました。その後大日本麦酒創業者の邸宅に渡り、さらに根津美術館に据えられました。根津美術館建て替えにより本施設に寄贈されたようです。東大寺七重塔礎石は、東大寺創建の頃、金堂の両脇に東塔と西塔が聳えていて、そのどちらかは不明だそうですが、礎石は藤田美術館創設者の屋敷にあったものだそうです。巨大な礎石は、あたかもイサムノグチの石彫のような流麗な美しさがあって、説明がなければ私は現代彫刻として鑑賞していただろうと思っています。これは「江之浦測候所」が抱えるほんの一部の美術品ですが、とにかく見応えのある造形群ばかりで、私は閉館近くまでここに佇んでいました。