Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「ダ・ヴィンチⅡ」と「ネーデルランド風景画」について
「死と生の遊び」(酒井健著 魁星出版)の2つの単元をまとめます。ひとつは「彼方からの笑い」でレオナルド・ダ・ヴィンチについての後半にあたる論考です。もうひとつは「言葉なき大空との対話」でネーデルランド風景画についての論考です。晩年のダ・ヴィンチはどんな生涯を送っていたのか、こんな文章に目が留まりました。「挫折の人。それが後世の人々に『万能の天才』と謳われたレオナルドの実像である。彼の敗北の原因を探れば、自然の偉大さに行きあたる。より正確に言えば、人知を超えた自然界の不合理性が彼の蹉跌の真因だということだ。」晩年の三作品「モナ・リサ」、「聖アンナと聖母子」、「洗礼者の聖ヨハネ」のうち、ロンドンにある「聖アンナと聖母子」の大画稿に触れた箇所にこんな論考がありました。「この大画稿に描かれた聖アンナの微笑は、レオナルドがいかに深く自然と交わっていたかを証している。自然界に弄ばれ、痛みを加えられ、にもかかわらず自然界を愛し続けた人だけが描くことのできる微笑なのである。河の氾濫に土木技師としての面子を丸潰しにされ、また幾夜も、切り開かれた人体を前にその異臭と粘液に耐えつつ腑分けし、克明な素描を残していった人だけが描きうる奥深い微笑なのである。」次にネーデルランド風景画のブリューゲルについて考察した箇所を取り上げます。「単純化して言うと、ブリューゲルの絵には、世界に対する彼の考えを図像で説明してゆくという思想伝達の面と、人知ではとうてい説明しえない世界の魔的な力をそのまま画布に漂わせて世界、絵画、鑑賞者を透明な、しかし恐ろしげな生命の流れでつなぐという交流体験的な面が共存している。」私はウィーン美術史美術館にあるブリューゲルの絵画群を折りに触れて見ていて、当時のイタリア絵画に心酔した画家とは違うパノラマのような「世界風景画」(後世の研究者の命名による)を堪能していました。さらにオランダ風景画についてこんな論考もありました。「1600年代のオランダ風景画は、1517年ドイツで始まった宗教改革の思わぬ副産物だった。ルター、カルヴァンらのプロテスタントの宗教思想家たちは、神と人との直接的な関係をめざし、『聖書に帰れ』と命じて、カトリックの教会堂を飾る宗教画を邪道視し、厳しく批判した。ネーデルランドのプロテスタント民衆はこの批判を聖像画破壊という過激なかたちで実践した。1566年にネーデルランドの四百ものカトリック教会堂で宗教画や彫刻が破壊されている。~略~風景画もそのような無益な嗜好品として民衆から愛された。宗教画を破壊した彼らは、道徳的な寓意に満ちた神話画も嫌った。信仰に役立つ絵、徳育に役立つ絵を拒んだのだ。彼らが好んだのは、何にも役立たない絵、つまり自分たちの生活世界をただ直接に描いた風景画そして風俗画だった。」その風景画は言葉なき大空を描いたものが多かったようです。