Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「ロスコ・ルーム」で感じたこと
昨日、NOTE(ブログ)にジョセフ・コーネルの作品について書きましたが、同じDIC川村記念美術館の常設展示に、ロシア系ユダヤ人でアメリカ国籍のマーク・ロスコの巨大な絵画を展示した「ロスコ・ルーム」があります。最初ここに足を踏み入れた印象として、仄暗い照明に囲まれた空間に7点の壁画のような作品が展示されており、その描かれたものは私には判明できず、そこでは黙想するような空間が存在していました。視覚表現はもはや描かれた対象ではなく、洞窟のように私の周囲を取り囲んだ空気をそのまま感じ取ることなのかもしれません。この場合の美術鑑賞は、1点ずつ目で味わうものではなく、身体全体で体験するようなものに変わりつつあるのではないかと私は感じました。その空間には、ある人にとって祈りがあったり、癒しがあったりするのかもしれず、個人的体験によって千差万別な感情が沸き起こる舞台装置と言っても過言ではありません。ロスコはそれを狙ってこうした空間演出をしたのでしょうか。マーク・ロスコはジャクソン・ポロックやウィルム・デ・クーニングらとともにアメリカを代表する抽象表現主義の画家です。初期の経歴を調べてみると、ニューヨークに渡ったロスコは、最初パウル・クレーの影響でドイツ表現主義的な作風を有していたり、シュルレアリスムにも傾倒していましたが、やがてロスコは新しいビジョンを持つに至りました。私が体験した「ロスコ・ルーム」はロスコの最終的な表現であり、ロスコの表現の振り幅がひとつに収斂していった結果とも言えます。この空間は本当に独特で、言葉で言い表す難しさを感じます。ネットに掲載のあったロスコの言葉を引用いたします。「私は基本的な人間の感情(悲劇、エクスタシー、運命など)を表現しているだけです。人々の多くが私の作品に直面したときに、感情が揺さぶられて泣くという事実があるので、私は基本的な人間の感情を伝えることができていると思っています。」この感情とは個人的なものではなく、絶対的な感情ではないかとネットに書かれていました。また、感情を具現化した有機的な形態を地層のように重ねるとロスコは言っているようですが、こうした重層化されたものが重い色彩によって統一を図っていることに対して、私は興味を示し、また好意的に受け止めました。現在、このような最終的な表現となったロスコの作品は世界に4点しかありません。イギリスのテート・モダン、アメリカのワシントンギャラリー、ヒューストンにある「ロスコ・チャペル」、それから日本のDIC川村記念美術館にある「ロスコ・ルーム」だけです。