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上野の「エゴン・シーレ展」
東京上野の東京都美術館で「エゴン・シーレ展」が開催されているので、先日見てきました。画家エゴン・シーレは私がウィーン滞在から帰った1985年には、今ほど知られた画家ではなかったと記憶していますが、現在の「エゴン・シーレ展」の状況は大変混雑していて、人気の高さが伺えました。シーレと言えば独特な自画像が思い浮かびますが、今回の展示にも「ほおずきの実のある自画像」をはじめ自己内省的な自画像が来日していて、シーレらしい雰囲気が漂っていました。私が前から気になっていたのはシーレの描かれた手が極めて特徴的で、何を語っているのか考えを巡らせていました。図録に美術史家千足伸行氏による解説があったので引用いたします。「F・ウィットフォードによるとシーレは生来自意識の強いナルシストであった。『彼は常に自分がどう見えるかに気をつかった。印象的なイメージを演出するため、自分でデザインした服を着て目立ち、ポーズを取ることを忘れなかった。…彼は常に鏡に魅かれていた。鏡の前を通る時は必ず、自分の姿を熱心にチェックした。自分の容姿に対するシーレの気遣いは、彼の署名と書体に対するほとんど神経症的なこだわりに見てとれる。』~略~シーレの自画像、あるいは自画像以外の肖像でも目立つのは、モデル(シーレ自身)の手と目を強調した表現主義的な描写である。『気があれば、目は口ほどにものを言い』というが、手もそれに負けないことをシーレは知っていた。いずれにしても、目と手は人間の身体の中でも最も可動性に富み、言葉によらないコミュニケーションのツールとしても極めて重要であることは、日常の会話やスピーチなどでも実感するところである。」もうひとつ、シーレを特徴づけるものはエロティシズムです。14歳の少女を匿った罪で投獄されたこともあるシーレなので、当時は絵画がポルノグラフィと解釈されてもおかしくなかったと考えられます。千足氏の著述にもこんな箇所があります。「『フロイトが性を発見した街』ウィーンに生まれ育ったシーレは少年時代、親に内緒で妹のゲルティを連れて両親の新婚旅行の地、トリエステまで旅し、ホテルでも同じ部屋に泊まるなど、兄と妹にしては際どい行動に出ており、性的にも極めて早熟であったことは容易に察しがつく。」事実はどうだったのか分かりませんが、クリムトのモデルと仲睦まじくなり、同時に妻として別の女性を口説いていたシーレはイケメンで浮気性でもあったようです。それでも人間の心の琴線に触れる表現を遺した生涯は唯一無二と言えるのではないでしょうか。