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「ナジャ」について
「アンドレ・ブルトン伝」(アンリ・べアール著 塚原史・谷正親訳 思潮社)の「第Ⅲ部 シュルレアリスム革命」の「第三章 ナジャ」についてまとめます。この章はブルトンの代表的な著作「ナジャ」についての記述ですが、本題に入る前に、私の愛読書「シュルレアリスムと絵画」についての文章がありました。「音楽における表現がつねに混乱を引き起こすのにたいし、『眼は野性状態で存在する』と彼は言う。眼が知覚するものはわれわれを惑わせることがない。ただ、絵画は、『純粋に内的なモデル』を前にした場合は別だが、模倣にとどまってはならない。」というブルトンが言った箇所は今までも幾度となく私の胸に去来しました。さて、「ナジャ」に話を戻しますが、物語の概要は知っているものの私は未だ読んだことがなく、読む前にブルトンの伝記によってその背景を探ってしまうことに躊躇がありました。薄幸で魅惑的な少女に翻弄され、そこから幻想に導かれる物語は、著者がどんな心理状態で著したものか知りたい欲求が沸々と湧いていました。「ブルトンにとって、もっともシュルレアリスム的かつ衝撃的なエピソードはナジャとの出会いである。~略~貧しい身なりのその若いブロンドの女性は、面をあげ、軽やかに歩き、さながら両眼を劇場用に化粧したダンサーだった。」ここから始まる事実に関して伝記では小説の内容を取り上げることはなく、ナジャの後日談を載せていました。「後日譚をブルトンはつつみ隠さず語っている。ホテルで幻覚の発作に襲われ、彼女は1927年3月21日に留置所に、つぎにサン=タンヌ病院に連れていかれ、セーヌ県にあるペレー=ヴォークリューズ精神病院〔パリ近郊〕に監禁された。翌年彼女の両親の希望、彼女は北フランスに移された。ナジャは、1941年に亡くなるまで、精神医療施設の中にとどまることになる。この悲痛な恋愛事件の語り手であり主人公であるブルトンは、自分の責任を問うた。問題は、避けがたい運命を変えられたのかどうかを知ることではなく、作品の題材をそこから引き出してもよいかどうか、ということだった。ところでこの点について、手紙の中身から証明された当事者の意向ははっきりしていた。悲劇的結末のせいで、その意向にしたがう義務を彼はモラル上負わざるをえなかった。」今回はここまでにします。