Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「彷徨から遭遇へ」(前)について
「アンドレ・ブルトン伝」(アンリ・べアール著 塚原史・谷正親訳 思潮社)の「第Ⅳ部 革命の警鐘」の「第一章 彷徨から遭遇へ」(前)についてまとめます。「第Ⅳ部」にはシュルレアリスムを推進していく上でさまざまなエピソードが書かれているので、まず「第一章」を前編と後編に分けてまとめることにしました。「個人的な地平を離れて集団的な地平に向かうブルトンは、『もっとも広範な人間的な義務から革命の義務を演繹する』というシュルレアリスムの意思を再度確認しているのであって、その逆ではない。言い換えれば、他のすべての関心事に勝るような革命についての特有のモラルを彼は見出せずにいる。」とありましたが、この頃はブルトンは個人的な恋愛沙汰に揺れている状況もありました。「自動記述、偽装の試み、剽窃、模倣、これらは同一の地平におかれるべきものだ。詩的創造のさまざまな様態なのである。こうした状況では、尽きせぬ宝や神秘の源泉となる作品の推敲に半年だけで事足りたというのも納得できる。『革命に奉仕するシュルレアリスム』第二号は十月上旬に発売された。別丁図版で掲載されたマン・レイ、タンギー、ダリの挿絵、バンジャマン・ペレの詩、エリュアールとブルトンの共作、マルセル・デュシャンのチェスに関する本の抜粋のほかは、この号は全体として論争または理論的分析に当てられている。~略~ブルトンのもうひとつの論文『シュルレアリスムを前にした精神医学』は、『ナジャ』および『第二宣言』の序文以来、精神科医との間に開かれた論争を敷衍して、精神科医の退行的な働きー彼らが医者であるだけにそれは深刻な問題なのだがー、そしていくつかの法廷において専門家として所見を述べるさいの彼らの権力の乱用を非難する。その行間には、戦時中、軍事法廷において軽視されていた診断書ーナジャの運命は彼にそのことを苦痛とともに思い出させるーを書く必要に迫られブルトン自身が何度も体験した混乱がみてとれる。」次に私が留意した箇所はダリに関するものです。「ダリがある一枚の写真なりデッサンなりを自己流に解釈し、そこに見られるいくつもの層をなしたさまざまな要素をばらばらにして、一種の精神錯乱に身をゆだねるその仕方はわれわれも知っているが、それを彼自身はのちに、『精神錯乱的な連想ならびに解釈の組織的かつ批評的な客体化に基づき、非合理的な知識を自然発生的に扱う方法』と理論づけている。」とあり、これはダリの絵画と並行した有名な言葉になっています。今回はここまでにします。