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「彷徨から遭遇へ」(後)について
「アンドレ・ブルトン伝」(アンリ・べアール著 塚原史・谷正親訳 思潮社)の「第Ⅳ部 革命の警鐘」の「第一章 彷徨から遭遇へ」(後)についてまとめます。「象徴主義の頃とおなじで、裁判において共産主義は無政府主義と区別されず、文学作品は行動によるプロパガンダと混同されていた。すぐさまブルトンは請願書起草のイニシアティヴをとった。プロレタリア革命を求め、そのため『芸術至上主義』による孤立を拒み、だからといって詩的な文章が司法機関によって字義どおりにしか読まれないものにされてしまう事態(これは『シュルレアリスム宣言』の中で検討され、すぐさま論駁された仮定である)も受け入れない、そうした立場をシュルレアリスムは採りつづけてきたといま一度繰り返した。」シュルレアリスムと政治的な関わりを書いた部分ですが、「彷徨から遭遇へ」の後半ではこれが大きな主題を占めています。「ブルトンは、共産党による支配を拒絶したのと同様に、運動が文学によって独占されてしまうことも禁じようとした。いろいろと考えた結果、彼は世界の解釈ならびに変革の計画を具体的に深化させる方向にむかい、この計画は倫理的、哲学的および政治的な次元において花開くことになる。彼は『通底器』でこのことを『シュルレアリスムの軸となる花』と名づけている。~略~彼はグループの立場のおのおのを弁護し、シュルレアリスムの発展は、初期の唯物論から観念論を経て歴史的唯物論へといたる哲学の発展を再現するものだとした。」ここにブルトンによる論考が掲載されていました。「唯物論的一元論者であるわたしは、感覚的、物質的な欲求と精神的な欲求の間に本質的な違いを認めない。わたしは精神を肉体から独立して存在はしえないものと考え、それゆえ、精神はある種の仕方で組織された物質の属性としか見なされないのだ。精神の欲求は肉体の欲求から切り離されてはならない。だが肉体の欲求と同一視されてもならないし、肉体の欲求を重視するあまり否定されるようなことがあってもならない。」本書ではシュルレアリスムの思想を語る一方で、ブルトンの恋愛事情にも触れていました。紙面の都合で割愛しますが、相当な頁が費やされていました。「結論で、プロレタリア芸術など存在しないとブルトンは繰り返した。反対に、芸術家や知識人は、プロレタリアに芸術の欺瞞と自分たちが甘受している搾取を意識させる務めがある。たとえ現存する組織のいずれかの規律にしたがうことができないにしても、それが創作者に関してシュルレアリスムの果たす役割ではないか。」今回はここまでにします。