Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

「批評家マルセル・デュシャン」➀について
「マルセル・デュシャン全著作」(ミシェル・サヌイエ編 北山研二訳 未知谷)の「第三章 批評家マルセル・デュシャン」について気になった箇所を引用いたします。まず序文で著者からこんな一文がありました。「この頑固な聖画像破壊主義者が、われわれの世紀を作った人や作品に対して極めて的確にして公平無私なる判断を下しえたことにわれわれは気づき驚いている。」デュシャンは造形制作をしなくなっても批評をノート類に書き込んでいたようです。「1915年にアメリカに来る直前に私は自分固有の仕事をしていたが、その根底をなすものは、諸々のフォルムを打破したい、つまり少しキュビスト風に『分解し』たいという欲望であった。しかし、私はもっと遠くにーもっとはるかに遠くにー実際はもっと別な方向に行きたかった。それは、『階段を降りる裸体』に、さらにあとになって『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』に到達したのだった。~略~私の目的は、動きの静態的表現であった。つまり、動くフォルムが取る多様な姿勢の静態的素描からなる静態的コンポジシオンであったが、運動学的効果を絵画によって作ろうとするものではなかった。動く頭部を単なる一本線に還元することは、私には支持できることのように思えた。あるフォルムが空間を横切るならば、このフォルムは一本の線を横切ることになろう。そしてこのフォルムが移動するのに応じて、このフォルムが横切る線は、別の線に置き換えられるだろう。次に別な線に、さらに別な線に。その結果、動くシルエットを一個の骸骨よりは一本の線に還元することの方が巧妙であると私は感じた。」デュシャンはダダイズムに関しても独自な考えを持っていました。「ダダは、絵画の物理的側面に対する抗議の極点になった。それは形而上学的態度である。ダダは緊密にそして意識的に『文学』と混じり合った。それは一種のニヒリズムであり、私はいまだにこのニヒリズムに強い共感を覚える。それは、ある精神状態から脱出する手段だった。直接的環境からあるいは過去から影響を受けることを避ける手段、つまり紋切り型から遠ざかる手段、そして解放される手段だった。ダダの無意味の力は非常に有益であった。ダダは言う。『あなたは自分が考えていることほど空っぽではないことを忘れてはならない』。通常、画家は自分自身の標尺があることを隠さない。画家はある標尺から別の標尺へと移る。実際は自分の虜になっているものである。たとえ標尺が同時代的であっても。」今回はここまでにします。