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六本木の「ヘザウイック・スタジオ展」
先日、六本木ヒルズにある森美術館で開催している「ヘザウイック・スタジオ展」に行ってきました。私が高校生の時に建築家を目指していた時期がありましたが、日々の暮しやすさや空間の使い勝手の良さ等の制約が多い建築に対し、自分の構造構築力が信じきれなくて、私は一旦工業デザインに進路変更をし、さらに社会的ニーズのない彫刻家へ転身してしまったのでした。ヘザウイック・スタジオが造り出す世界観は、進路を決めかねていた当時の10代の私であれば、迷うことなく飛び込んでいくほどの魅力がありました。雑誌「a+u」に特集されていた記事から引用いたします。「東京の森美術館で開催される、ヘザウイック・スタジオの主なプロジェクトを集めた展覧会は、『共感する建築』と題されている。しかし、共感とは厳密には何なのだろう?辞書的には『感情(魂)のこもっていること/深い気持ちまたは感情』あるいは『感情表現/感情移入/心情吐露』といった意味だとされる。心理学では、感情のこれら2つの側面は、感情価、つまり対象にたいする感情のポジティヴ(正)またはネガティヴ(負)の程度として、そして覚醒あるいはその感情の強度として知られている。それらは、眠りに落ちそうな状態から注意力が高まった状態までを尺度に、『覚醒の高まり』あるいは『高覚醒状態』といった意味で考えられることが多い。したがって、基本的な心理学の用語を用いて共感を改めて定義するなら、興奮、熱狂、歓喜といった他の感情と何の問題もなく並存するような、高感情価+高覚醒の状態を意味するであろう。さらにいうなら、共感的な建物とはそれがどのようなものであっても、正の感情を引き起こす建物でなければならないということができよう。」(ルース・コンロイ・ダルトン著)またインタビューの中でヘザウイック氏はこんなことを語っています。「長年にわたって建物のなかに自然を統合してきた理由は、近代的構造は愚かな単純さを安易にもたらすものであり、その対極にいることを大事にしよう、と感じたからです。近代建築は、視覚的複雑さを欠いていることがよくあります。そして視覚的複雑さは美的な選択ではありません。複雑さは人間の栄養であり、私たちはそれを必要としているのです。植物は、そうした視覚的複雑さを加えるための手段であり、不健康な単純さとのバランスをとるものです。植物は、空気を浄化するという測定可能な効果がありますが、それだけでなく、私たちの気持ちを和らげて都市に住む人々の精神的な健康をサポートするという感情的な効果もあるからこそ、それを利用してきました。」あたかもガウディ建築のような有機性が垣間見えるのもヘザウイック・スタジオの特徴と言え、共感によってそこに住まう人々にも前向きで健康的な影響を与えていると私は考えました。