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「しるし」について
「仮面の解釈学」(坂部恵著 東京大学出版会)の「Ⅳ しるし・うつし身・ことだま」のうちの「1 しるし」について気に留めた箇所を取り上げます。本章は最終章になりますが、日本語独自となる論理を展開しています。冒頭には詩人萩原朔太郎の詩集「月に吠える」の中にある「冬」を取り上げており、そこに掲載されている「しるし」について解説と解釈を試みています。ここでは紙面の都合で詩そのものは取り上げませんが、最後の短いまとめだけ引用いたします。「わたしたちの生死往来の場は、しるし(兆・徴・標・験・記・印)と著きあらわれのことなり(差異、事成り)の境位である。」 またこんな文書にも気が留まりました。「しるしは、領り領られる他者と他者との関係を、しるされるものを媒介として、しるしづけ、ひとを、一定のしるしを負った、世界と社会との文節体系の一つの結節点として立ちあらわさせる。うまれながらにして、ひとを(たとえば、だれそれの子、神祖の家柄の血を引く子、といったように)しるしづけ、差異化の体系の分節のうちへと登録するそのしるし、そのしるしづけの体系あるいは差異化のシステムこそが、究極のところで、(親族体系、神話、宗教、倫理などというものとして)、たがいに領り領られるひととひと、あるいはひととものとの関係の総体を無言のうちに領り、ことならしめるものなのではあるまいか。~略~各人固有の人格といわれるものも、けっして、独立し完結した実体といったものではない。人格は、〈人間化〉されても、依然として、ひとつの〈ペルソナ〉なのであり、他者たちとの関係の網の目において、差異づけの体系の網の目においてしるしづけられることによって、はじめてそれとしてあらわれてくるものにほかならない、というわけだろう。」本書も後半に差し掛かり、相変わらず難解な論理を孕んでいますが、私は日本人哲学者によるものを今まで読む機会が少なかったなぁと思い返しています。ましてや本章のような日本語のもつ詩的語彙と広範囲な意味合いを改めて考えてみる機会は、もっとあっても良かったのではないかと思っています。今回はここまでにしますが、日本人哲学者によるものを他で何か探してみようと思うようになりました。