Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「うつし身」について
「仮面の解釈学」(坂部恵著 東京大学出版会)の「Ⅳ しるし・うつし身・ことだま」のうちの「2 うつし身」について気に留めた箇所を取り上げます。「〈うつつ〉は、たんなる〈現前〉ではなく、そのうちにすでに、死と生、不在と存在の〈移り〉行きをはらんでおり、目に見えぬもの、かたちなきものが、目に見え、かたちあるものに〈映る〉という幽明あいわたる境をその成立の場所としている。そこに、〈移る〉という契機がはらまれている以上、〈うつつ〉は、また、時間的にみれば、たんなる〈現在〉ではなく、すでにないものたちと、いまだないものたち、来し方と行く末との関係の設定と、時間の諸構成契機の分割・文節をそのうちに含むものでもある。~略~うつせみの身とうつせみの世、うつし身とうつし世とは、目に見えないものたちの世界を背景としそれと境を接しながら、たがいに〈うつし〉〈うつり〉あいながら、いわばたがいの自己同一性を保証する〈うつつ〉の境位において、ひとつのおもてとして構成され、立ちあらわれてくる。」日本語の独自性の中にフロイトが登場する文章がありました。「夢も、また、フロイトが示したように、〈うつつごころ〉の眠りこんだ夜中に各個人の心の深層の劇場で演じられるドラマなのであり、うつつの世とうつつの身の同一性の存在をおびやかす深みの異形の神々ー蛍火のごとく、また蠅声なしてたちさわぐ、〈もののけ〉や〈あらたま〉たちの想起と統合の祭式にほかならないのである。」章の後半に現代のことに触れた箇所がありました。「話を一気に今日のわたしたちの世界に移すことにして、今日のわたしたちのもとで、〈うつつ〉の語がどのような形で生きているか、考えてみよう。〈うつつ〉の語は、たとえば、『うつつをぬかす』といった、かなり後の時代(近世以後?)に由来する合成語の形で、元来〈うつつ〉という語のもっていた〈ゆめ〉とあいわたる微妙な境位を示す意味あいとはほど遠い粗雑な変質をこうむって、わたしたちの語彙の片隅に生き残っている。かろうじて、今日でもときにつかわれる『ゆめうつつ』という語だけに、単層の意味づけの体系だけに領されて、平板化し、やせ細り、しらけがちなわたしたちの現実感覚の片隅に残された、かつての多元的に分散して多義性をはらみ、豊かにひびき合いうつり合う〈うつつ〉の境位のかすかなこだまが聞き取られるようにおもわれる。」今回はここまでにします。