Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

「風土」を読み始める
私自身の読書癖を振り返ると、難解な専門書を読もうとした最初の動機は何だったろうと思い返しています。それは高校生の頃で、教科書に掲載された現代詩に興味を持ったのと同時に、難しい書籍にも挑戦しようと突如思い立ったのではないかと述懐しています。中学生の頃は創元推理文庫を片っ端から読んでいました。同級生の友人と競い合って、翻訳された海外の推理小説を読んでいたのですが、自宅の屋根裏収納にその頃読んだ文庫本が山積されています。部活からの帰り道で、彼と読んだ書籍の情報交換をやっていて、彼の読書量の多さに嫉妬を覚えていました。高校に入り、彼とは別の学校を選んでから、私は日本文化に目を向けるようになり、宮沢賢治全集を親に頼んで買ってもらいました。それだけではなく、さまざまな書籍に囲まれることになり、その頃に「風土」(和辻哲郎著 岩波書店)を手に入れたような気がしています。外函が茶色くなっていて、自宅の書棚では埃を被っていました。高校生の私が何故最初に「風土」を選んだのか、今ではその動機となるものを忘れていますが、その頃私は建築家になることを考えていたので、世界の気候風土に生きる人々のことを知れば、建築に役立つだろうと考えたのかもしれません。ところが「風土」を開いてみると、その序言に「人間存在の構造契機としての風土性を明らかにする」とあって、私の拙いイメージを一蹴するほどの文章が並んでいました。「自然環境がいかに人間生活を規定するかということが問題なのではない。」という文章が続いたので、自然環境が人々に齎せたことだけを考えていた私は、いきなり論考の迷宮に嵌りこんでしまったのでした。この論理にはついていけないと気づいた私は、本書を放棄して書棚に仕舞い込んでしまいました。あれから50年近くが経ち、「人間学的考察」という副題がついた「風土」を再度手に取りました。頁は黄色くなってしまいましたが、それを捲りながら、新たな気持ちで、とつおいつ本書を読んでいきたいと思います。