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古寺巡礼「聖林寺十一面観音」について
「古寺巡礼」(和辻哲郎著 岩波文庫)は単元で分けず、内容として私の興味関心を惹いたものを順次取り上げようと思います。今回取り上げる奈良県聖林寺に私はまだ行ったことがありません。各地に残る十一面観音の中で、本文に促されたことにより、私は是非行ってみたいと思うようになりました。「聖林寺の十一面観音は偉大な作だと思う。肩のあたりは少し気になるが、全体の印象を傷つけるほどではない。これを三月堂のような建築のなかに安置して周囲の美しさに釣り合わせたならば、あのいきいきとした豊麗さは一層輝いて見えるであろう。仏教の経典が仏菩薩の形像を丹念に描写していることは、人の知る通りである。何人も阿弥陀経を指して教義の書とは呼び得ないであろう。これはまず第一に浄土における諸仏の幻像の描写である。また何人も法華経を指してそれが幻像の書でないとは言い得まい。それはまず第一に仏を主人公とする大きい戯曲的な詩である。観無量寿教のごときは、特に詳細にこれらの幻像を描いている。仏徒はそれに基づいてみずからの眼をもってそれらの幻像を見るべく努力した。観仏はかれらの内生の重大な要素であった。~略~わが十一面観音は、幾多の経典や幾多の仏像によって培われて来た、永い、深い、そうしてまた自由な、構想力の活動の結晶なのである。そこにはインドの限りなくほしいままな神話の痕跡も認められる。半裸の人体に清浄や美を看守することは、もと極東の民族の気質にはなかったであろう。またそこには抽象的な空想のなかへ写実の美を注ぎ込んだガンダーラ人の心も認められる。あのような肉づけの微妙さと確かさ、あのような衣のひだの真に迫った美しさ、それは極東の美術の伝統にはなかった。」それでは十一面観音とはどんな仏を言うのでしょうか。ネットで調べると「苦しんでいる人をすぐに見つけるために頭の上に11の顔があり、全方向を見守っています。またそれぞれの顔は人々をなだめたり怒ったり、励ましてくれたりするといわれています。十種勝利(現世利益)と四種果報(死後成仏)という様々なご利益があり、千手観音菩薩と並んで人気の高い観音です。」とありました。十一面観音は聖林寺の他にも安置されている寺院が複数あり、訪ね歩くのもいいなぁと思います。