Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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古代メキシコの生贄儀礼を考える
先日見に行った東京国立博物館で開催中の「古代メキシコ」展。巨大な石彫や素焼きされた土製の出土品があって、私の興味関心が尽きない展覧会でしたが、古代メキシコと聞けば、生贄の儀礼があったことは有名です。この生贄に関する造形物が出品されていました。儀礼用ナイフやチャクモール像があって、つい想像を逞しくしてしまいました。図録には生贄儀礼についての文章がありました。「メソアメリカ文明の最大の特徴の一つが、現代人が理解し難いこの生贄儀礼の慣習であろう。スペイン人も目撃したアステカ王国における生贄儀礼は、マヤ、テオティワカン、そしてはるか昔のオルメカからも認められ、少なくとも3.000年以上も継続した儀礼といえる。キリスト教徒であったヨーロッパからの征服者たちは、この風習を『邪宗教』『悪魔』の仕業として徹底的に破壊したが、この儀礼が長く社会的に存続した理由は、先住民が野蛮人だったからではなく、自然と融合した彼らの世界観が根底にあったと考えられる。~略~アステカの人々にとって自然の万物・現象は神聖なものであり、人間のコントロールを超えた力、つまり神々の意思によりその秩序が保たれていた。過去には、人間の神への敬いが欠如して秩序が崩壊し、すでに4度にわたって世界が創造と破壊を繰り返したと、アステカ神話は語る。第5番目の世界である現世の初めに、ナナワティン神とテクシステカトル神が燃えさかる焚き火の中に飛び込んで、現在見られる太陽と月が生まれ、また人間やトウモロコシも、神々の勇気と犠牲の加護により日々生かされていると信じた。したがって人間も神々を敬い、人間にとって最も大切な命を神に捧げて自然のサイクルと再生の原理を保たねばならなかった。この『神々との契約』を遂行するため、アステカ王国の大神殿では、最も衝撃的な生贄儀礼という方法で人を神々に捧げたと思われる。」(杉山三郎著)人は信じるものによって、さまざまな風習を生んでいくのだろうと思います。私は幼いころから身近にキリスト教があったので、十字架にかけられたイエスの磔刑像は見慣れたものになっていましたが、仏教徒からすれば、これだって生々しい具象に他なりません。生贄儀礼はその地方の王国の曙期から捉える必要があると改めて感じました。