Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「モンスーン的風土の特殊形態」➀
「風土」(和辻哲郎著 岩波書店)の「第三章 モンスーン的風土の特殊形態」の中で気に留めた箇所をピックアップしますが、中国と日本についての長い考察があるため、本章を3つの単元に分けます。今回は➀として中国に関する論考を扱います。本文の初稿が昭和4年だったために、中国をシナと称していて、現在では日本との関わりにおいてシナは差別的呼称になっています。それを承知で本文をそのまま引用させていただく失礼をお詫びいたします。「揚子江とその平野との姿が我々に与える直接の印象は、実は大陸の名にふさわしい偉大さではなくして、ただ単調と空漠とである。茫々たる泥海は我々に『海』特有のあの生き生きとした生命感を与えない。また我々の海よりも広い泥水の大河は、大河に特有な『漫々として流れる』というあの流れの感じを与えない。同様に平べったい大陸は我々の感情にとって偉大な形象ではない。~略~シナの人間は沙漠的なるものと無縁ではない。彼らに著しく意志の緊張があり、従ってその忍従性の奥に戦闘的なるものをひそめていることは、モンスーン的性格と沙漠的性格との結合を語るものであろう。しかしそれはモンスーン的性格の特殊形態を形成しているのであって、シナにおける沙漠的性格の存在を示すのではない。沙漠的人間におけるごとき絶対服従の態度はシナの人間には存しないのである。」ここで中国人の民族的特徴を様々な視点で論じていますが、美術的な箇所に限定させていただきます。「シナの芸術には一般にゆったりとした大きさがある。大づかみながらきわめてよく要を得ている。とともに半面において感情内容の空疎を感ぜしめる。繊細なきめの細かさはそこには全然見いだせない。この性格を代表しているのはシナ近代の宮殿建築である。~略~もっとも二千年にわたるシナの芸術をこの種の建築で代表させることは無理かも知れない。楽浪出土の漢代の遺物で見ると、シナの芸術にもずいぶん繊細なものがある。~略~人はシナ近代の家具や室内装飾の様式のうちに先秦の古銅器の伝統を感じないであろうか。また漢の画象石の抽象性や雲崗竜門の大石仏の巨大性のうちに遠見を主とする宮殿建築の空疎性と通じるもののあることを感じないであろうか。」日本人が中国から受けた多大な影響に話題が及んだ箇所がありました。「日本人は明治維新までの千数百年間、シナの文化を尊敬し、おのれを空しゅうしてその摂取につとめた。衣食住の末に至るまでそうであった。しかし日本人の衣食住はシナ人のそれと著しく異なったものになったごとく、日本人の摂取したシナの文化はもはやそれではない。日本人が尊重するのは、空漠たる大いさではなくしてきめの細かさである。外観の整備ではなくして内部のすみずみにまで行きわたった醇化である。」今回はここまでにします。