Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「モンスーン的風土の特殊形態」➂
「風土」(和辻哲郎著 岩波書店)の「第三章 モンスーン的風土の特殊形態」の中で気に留めた箇所をピックアップします。今回は➂として、世界各地を見て回ってきた著者が、帰国後日本についての特殊な形態を取り上げています。ただし、本稿は昭和4年に書き上げられており、現在とは異なる時代状況もありますが、歴史風土を踏まえれば、現在もなお日本人の意識の中に残っている部分もあると考えられます。「ヨーロッパにおいて最も強い『へだて』は過去にあっては町を取り巻く城壁であり現在にあっては国境であるが、日本にはそのいずれもが存しない。桃山時代の前後に諸地方の城下町は初めて壕と土手をもって取り囲まれたが、しかしそれは武士の一群が他の攻撃を予想して作った防御工事であって、この町が他に対し己れを護り距てる意志を表わしたものではない。ヨーロッパの町の城壁に当たるものは、日本においてはまさしく家のまわりの垣根であり塀であり戸閉まりである。~略~(ヨーロッパの)城壁の内部においては、人々は共同の敵に対して団結し、共同の力をもっておのれが生命を護った。共同を危うくすることは隣人のみならずおのが生存をも危うくすることであった。そこで共同が生活の基調としてそのあらゆる生活の仕方を規定した。義務の意識はあらゆる道徳的意識の最も前面に立つものとなった。とともに、個人を埋没しようとするこの共同が強く個人性を覚醒させ、個人の権利はその義務の半面として同じく意識の前面に立つに至った。だから『城壁』と『鍵』とは、この生活様式の象徴である。」それに比べて日本はどうだったのでしょうか。「人々はおのが権利を主張し始めなかったとともに、また公共生活における義務の自覚にも達しなかった。そうしてこの小さい世界(家の概念)にふさわしい『思いやり』、『控え目』、『いたわり』というごとき繊細な心情を発達させた。それらはただ小さい世界においてのみ通用し、相互に愛情なき外の世界に対しては力の乏しいものであったがゆえに、その半面には、家を一歩出づるとともに仇敵に取り囲まれていると覚悟するような非社交的な心情をも伴った。」論考ではヨーロッパで生まれた民主主義が、本当に日本に根付いているのか問う場面がありましたが、明治に開国した後の近代政治史を見ると、私は成程と頷くしかありませんでした。日本伝来の文化が薄れつつあるグローバル化の中で、私はそれでもなお残る日本人独自の生活様式が浮き彫りになってくるような感覚を持ちました。