Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「 芸術の風土的性格」➀
「風土」(和辻哲郎著 岩波書店)の「第四章 芸術の風土的性格」の中で気に留めた箇所をピックアップします。本章のテーマは芸術であり、私の関心のある分野でもあるので、本章を3つの単元に分けていきます。今回はその➀として、論文への導入であり問題提起のニュアンスがあるようにも感じました。「『人間の本性に根ざし従ってあらゆるところに働ける芸術創作力が、いかにして民族と時代とにより異なる種々の芸術を作り出すのか。』この問いは人類のつくり出すさまざまな文化体系に現われた精神生活の歴史性の問題にふれる。『創作力として同じ形に現われる人間本性の同一性がいかにしてその変易性、その歴史的本質と結合せられるのであろうか。』この問いは明らかに二つの問題を含んでいる。『とき』によって異なる芸術と『ところ』によって異なる芸術との問題である。もとより『ところ』によって異なる芸術も、それ自身の内部において『とき』により異なる様式を持っている。両者は密接に交錯して具体的な芸術品の特殊性を規定する。また現代におけるごとく全世界の文化の接触が著しいときには、世界はあたかも『一つのところ』に化したように見え、従ってただ『とき』の問題のみがあらわになってくる。しかしながら世界が『一つのところ』に化したように見えるというちょうどその事情のゆえに、かつて世界がいくつかに別れて『ところ』の相違が著しかった時代に、いかにその相違が芸術の形式を規定したか、従って『ところ』の相違が芸術の形式のいかなる深みまで関与するものであるか、ということの反省が、一層容易にされるのである。」芸術を論じる時に、ヨーロッパを中心に据える日本人の性癖があります。勿論芸術概念を打ち立てた功績は認めるものの、日本の芸術をその特殊性から図る論考があってもよいと私は考えます。それでこの文章に注目しました。「ヨーロッパ的でないことがどうして直ちに『原始的』であり得よう。たとえば日本の生活のごときはその『原始性』を失っている点においてはむしろヨーロッパ以上である。ヨーロッパ人がその生活の機械化にかかわらずなお多分に保っている『子供らしさ』のごときは、日本人には到底見られない。その点においてはヨーロッパ人の方がむしろ原始的活力に富むとも言われよう。とともに衣食住の一切の趣味に現われた『渋み』や『枯淡』への愛好、あるいは日常の行儀における『控え目』や『ゆかしさ』に対する感じ方のごときは、ヨーロッパ人の理解し得ざるほどに洗練されたものである。」今回はここまでにします。