Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「風土学の歴史的考察」➁
「風土」(和辻哲郎著 岩波書店)の「第五章 風土学の歴史的考察」の中で気に留めた箇所をピックアップします。今回は前回に続いてヘルゲルに関する➁です。「風土とは極限すれば地球上のそれぞれの土地に固有な、唯一のものなのである。それは鋭敏な観察によって叙述することはできても、普遍的な結論に到達せしめるものではない。それに対してこの風土から影響を受けるとされている人体が、また生理的な一般法則にのみ従うものではない。熱を受け取りまた送り出す仕方において、動物には種々の特性があり、人類にも地方的に相違がある。」それを踏まえてヘルデルは人間の精神の風土的な構造を明らかにしようとしたのでした。「まず第一には、人の感覚が風土的である。人がその日常生活において出合うものの特性は、同時に感覚の特性になる。~略~第二には、想像力が風土的である。すべての感性的民族はその国土において感受せるもののほかは表象や概念になし得ない。従って表象の仕方、把捉の仕方において風土的に限定せられている。~略~第三には、実践的な理解が風土的である。それは生活の仕方の必要から生じ、民族の精神、伝承、習慣を反映する。~略~第四には、感情や衝動が風土的である。それらは人間生活の状態とその組織とによって限定せられている。特に重大なのは人と人とを結びつける愛情である。~略~最後に幸福もまた風土的である。幸福はヘルデルにとって特に重要な概念であるが、彼においては文明あるいは文化は必ずしも幸福を意味しない。ただ素朴な、健やかな生の歓びこそ、真の幸福なのである。」ヘルゲルの論考に対して、歴史哲学に取り組んでいたカントが登場してきます。カントはヘルゲルの方法論が学的でないことを指摘しています。「哲学の領域からいつか詩の国に移行する」とカントは述べていますが、カントの批評哲学をもってすればもっともな批判であると思えます。著者はそれでもヘルゲルの論証を支持していて、概念の欠乏にも関わらず、ヘルゲルの全体直観に本書が多くの示唆を受けていると、私は感じました。今回はここまでにします。