Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

「風土」読後感
「風土」(和辻哲郎著 岩波書店)を読み終えました。本書のあとがきに哲学者谷川徹三(詩人谷川俊太郎の父)による解説がありました。「『牧場』は現実ではない。類型としてのイデエである。しかしこのようにしてイデエを捉えた眼は、そのイデエによって、イデエを支えるものを見る。地中海の海としての特色が日本の海と比べられ、イタリアの各地の傘松の形が日本の松と比べられる。雨の降りよう、風の吹きよう、大気や日光の常のありよう、それらすべてがそれぞれの意味をもって『牧場』のイデエを指向する。そしてそのようにして定位された『牧場』のイデエとの類比によって、『沙漠』や『モンスーン』という、『風土』の他の類型が定位される。」著者の在外研究員としての経験が契機になって「風土」の執筆になったようですが、もうひとつハイデガーの「有と時間」(私が既読したのは「存在と時間」中公新社)をベルリンで読んだことも契機のひとつになっています。そこに時間性はあっても空間性の希薄を著者は指摘しています。さらに著者が「風土」上梓後に新たな2つの類型について書いた箇所がありました。「かつて拙書『風土』において風土の類型をモンスーン、沙漠、牧場の三つとして掲げたときには、眼中にあったのはシナ及びインドの東洋的国土と、イスラム的国土と、ヨーロッパ的国土とのみであった。それらは近代に至るまでの世界史の舞台であり、従ってそれによって世界史的に展開されて来た人間存在の風土性はほぼつくされうると思ったのである。しかしそのときには二つのことが閉却されていた。一つは黒海から太平洋までの広大なアジア大陸を一つの国土たらしめたあの蒙古帝国の存在である。~略~もう一つは近代におけるヨーロッパ人の地理的発見の事業の重大な意義である。~略~世界の舞台がアメリカの『新しい世界』にまで押し広められるとともに、またこの新しい舞台における世界史の新しい所作が押し出されてきたのである。」これで漸く風土的考察が世界史の網羅を加筆することで、より完成に近いものに成り得たと思いましたが、私は著者が初めて眼にした世界の風土に関する新鮮な気づきが心に響きました。私は20代の頃、5年間中央ヨーロッパに暮らしていたので、私も同じような気候や国土の状態を身体で感じておりました。本書を願わくば滞欧前に読んでおきたかったと後悔しました。