Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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準備不足の渡航体験
「風土」(和辻哲郎著 岩波書店)を読んでいた時に、気になったことがありました。記憶が定かではないのですが、「風土」という書籍を私はいつ頃知って、いつ頃購入したのか、「風土」は確か両親の実家に住んでいた頃、既に私の部屋にありました。高校時代のような気がしますが、何故こんな難解な書籍を手に取ったのか、今も謎です。自分が建築か美術の専門の道に進もうとした頃に、世界的な視野を持たなければならないと漠然と考えていた時期があったので、あるいはそれが動機かもしれません。大学で彫刻を始めてから、私はヨーロッパに行きたいと考えるようになり、その準備を知識として蓄積しておこうとしました。彫刻の概念は西洋人が考えたもので、そのルーツはかの地にあると思っていたからです。その頃、正確なヨーロッパを知るために「西欧の没落」1巻・2巻(O・シュペングラー著 村松正俊訳 五月書房)を購入しました。もうヨーロッパは経済的に停滞状況にあると思っていて、アートは経済発展と連関しているため、新しいアートが登場するのはきっとヨーロッパではないと考えていました。ただし、私の興味関心はアートの投資が盛んな国に行くのではなくて、重厚な歴史遺産を知ることにもあったので、敢えてヨーロッパの古都を選んだのでした。そんな私でしたが、「風土」にしろ「西欧の没落」にしろ、渡航前には読破が出来ず、準備不足のまま渡航してしまったのでした。結局、「西欧の没落」は50代になってから読んで、これはもっと若いうちに読むべきだったと後悔しました。「風土」にいたっては先日読み終わったばかりです。だからと言ってヨーロッパでの生活は支障なく過ぎていきましたが、知識の蓄積は予習よりも復習に時間を割いた結果になりました。「風土」に出ていたハイデガーの「存在と時間」を、私は別の動機で既読していました。「西欧の没落」から得たのはニーチェの「悲劇の誕生」で、これは「西欧の没落」が発端となってニーチェ哲学に導かれていきました。ひとつの書籍から派生された自分の読書癖が、かなり時間の推移を待たねばならず、それでも諦めることなく読破できたのは幸せと呼ぶべきか、加齢を重ねた私は複雑な心境に陥っています。書棚に眼を移すと途中放棄した書籍はまだあるのです。