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古寺巡礼「唐招提寺金堂」について
「古寺巡礼」(和辻哲郎著 岩波文庫)は単元で分けず、内容として私の興味関心を惹いたものを順次取り上げようと思います。今回取り上げるのは「唐招提寺金堂」です。奈良の唐招提寺は、教職にいた頃に修学旅行の引率で何度が訪れました。周囲に生徒がいたため、落ち着いて寺を鑑賞したことはなかったのですが、それでも屋根の彎曲の美しさが印象に残っています。「正面から見るとこの堂の端正な美しさが著しく目に立つ。それは堂の前面の柱が、ギリシャ建築の前廊の柱のように、柱として独立して立っているからかも知れない。しかし屋根の曲線の大きい静けさもこの点にあずかって力があるのであろう。もちろんこの種の曲線はギリシャの古代建築に認められるものではない。ローマ建築の曲線は全く別種の美を現わしている。従ってこの曲線の端正な美しさは東洋建築に特殊なものと認めてよい。その意味でこの金堂は東洋に現存する建築のうちの最高のものである。しかしこの堂の美しさから色彩を除いて鑑賞することはできない。土に近づくほどぼんやりと消えて行く古い朱の灰ばんだ色は、柱となり扉となり虹梁となりあるいは軒回りの細部となって、白い壁との柔らかな調和のうちに、優しく温かく屋根の古色によって抱かれている。その鈍いほのかな色の調子には、確かにしめやかな情緒をさそい出ずにはいない秘めやかな力がある。」さらに金堂内部にある千手観音に関する文章がありました。「右の脇士千手観音は、自分ながら案外に思うほどの強い魅力を感じさせた。確かにここには『手』というものの奇妙な美しさが、十分の効果をもって生かされている。実物大よりも少し大きいかと思われるくらいな人の腕が、指を前へのばして無数にならんでいるうちに、金色のほのかな丈六の観音が、その豊満な体を浸しているのである。『手』の交響楽ーそのなかからは時々高い笛の音やラッパの声が突然の啓示ででもあるかのように響き出すーそれは潮のように押し寄せてくる五千の指の間から特に抽んでて現われている少数の大きい腕である。この交響楽が、人の心を刺戟し得る各個の音とその諧和をもってーすなわち何らかの情緒を暗示せずにはいない一々の手とその集団から起こる奇妙な印象とをもってー観音なるものの美を浮かび出させているのである。この像だけはその印象の鋭さが本尊廬舎那像や左脇士薬師如来の比ではない。」唐招提寺金堂は平成大改修があったので、昭和初期に本書が書かれた時とは印象が現在では異なっているかもしれませんが、卓抜した文章で著された普遍的な存在はそのままだろうと考えます。今回はここまでにします。