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古寺巡礼「東院堂聖観音」について
「古寺巡礼」(和辻哲郎著 岩波文庫)は単元で分けず、内容として私の興味関心を惹いたものを順次取り上げようと思います。今回取り上げるのは「東院堂聖観音」です。昨日のNOTE(ブログ)に「金堂薬師如来」について書きました。金堂本尊の次と言えば東院堂聖観音を取り上げないわけにはいきません。ここでも著者の卓抜した感想があり、心に刻むためにも全文引用させていただきます。「美しい荘厳な顔である。力強い雄大な肢体である。仏教美術の偉大性がここにあらわにされている。底知れぬ深味を感じさせるような何ともいえない古銅の色。その銅のつややかな肌がふっくりと盛りあがっているあの気高い胸。堂々たる左右の手。衣文につつまれた清らかな下肢。それらはまさしく人の姿に人間以上の威厳を表現したものである。しかもそれは、人体の写実としても、一点の非の打ちどころがない。わたくしはきのう聖林寺の観音の写実的な確かさに感服したが、しかしこの像の前にあるときには、聖林寺の観音何するものぞという気がする。もとよりこの写実は近代的な、個性を重んずる写生と同じではない。一個の人を写さずして人間そのものを写すのである。芸術の一流派としての写実的傾向ではなくして芸術の本質としての写実なのである。この像のどの点をとってみても、そこに人体を見る眼の不足を思わせるものはない。すべてが透徹した眼で見られ、その見られたものが自由の手腕によって表現せられている。がその写実も、あらゆる偉大な古典的芸術におけるごとく、さらに深いある者を表現するための手段にほかならない。もし近代の傑作が一個の人を写して人間そのものを示現しているといえるならば、この種の古典的傑作は人間そのものを写して神を示現しているといえるであろう。だからあの肩から胸への力強いうねりや、腕と手の美しい円さや、すべて最も人らしい形のうちに、無限の力の神秘を現わしているのである。」素晴らしい仏像に接すると私は言葉を失いますが、著者のように敢えて言葉で感想を述べるなら、仏像に対し真摯に向き合う姿勢と深い洞察が必要なのだろうと思います。私にはそこまでの語彙による表現力がないので、ただその前で唖然と立ち尽くすしかないのです。それでもその仏像に内在する優れた芸術性は理解できます。その生命力が私に伝播してくるからです。今回はここまでにします。