2023.11.22
「土方久功正伝」(清水久夫著 東宣出版)の第四章「孤島に生きて」の気になった箇所を取り上げます。「昭和6年(1931)9月21日の朝8時過ぎ、久功は、彫刻の弟子・杉浦佐助、サタワル島(サテワヌ島)出身のオジャラブルとともに、食糧、野菜の種等を持って長明丸に乗船した。~略~サタワル島は、ヤップ支庁管内の最東端にある珊瑚礁の孤島である。周囲わずか6キロ、面積1平方キロで、標高が5メートルほどの平坦な小さな島である。島の回りは礁湖が発達していないため、岸から50メートルも離れれば深海になる。」ここで久功は島女を娶ることになります。「名前はイニポウピーで、齢は17,18歳。島で一番色が白い評判の美人であった。久功は、イニポウピーが気に入り、彼女との生活に満足していた。久功は、翌日から、早速、妻となったイニポウピーから、サタワル島の言葉を習った。~略~森では、朝は明るくなりさえすれば起きてしまい、夜は暗くなりさえすれば寝てしまう。村では朝暗いうちから鶏が盛んに鳴くが、森では、ニッチョクという、島にいる唯一の小鳥の囀りで始まる。その小鳥の声で起き、前の小さな浜に行って用を足す。それから飼っている子犬と浜で遊び、戻ってくる。家ではすでにイニポウピーが起きて、機織りをしている。炉に火をおこし、朝食のため、前日のパンの実の鍋と蛸の鍋をのせておく。その間、傍の茣蓙の上でガチンガチンと彫刻を始める。」この時が彫刻家としての久功の充実していた時期だったようですが、その後にイニポウピーと離婚しています。イニポウピーはその後、島の男と結婚と離婚を繰り返し、若くして世を去っています。「『土方氏はサテワヌ島での7年の生活の間も一日として彫刻の手を休めなかった。』(飯田善國『土方久功論』1955)というような誤解も生まれた。しかし、『森の生活』は、久功の7年余のサタワル島滞在中のわずか2カ月余であったのである。」(※飯田善國は故現代彫刻家で著書に『見えない彫刻』があり、20代の私の愛読書でもありました。)