Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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陶彫の起源を探る展覧会
昨日、陶彫作品の窯入れ準備を行ない、夕方に焼成を開始しました。今朝は窯の温度確認に工房へ出かけてきました。焼成中は窯以外のブレーカーを落としているため、陶彫制作が出来ずに、今日のところは気分転換に展覧会散策に出かけました。まず家内と行ったのは東京渋谷の古家屋というギャラリーで開催していた「加藤正展」。加藤さんは私の大学の先輩で、緻密な銅版画家として受賞歴がありますが、現在は専らモノタイプ版画をやっていて、個展期間中はワークショップをやっていました。植物をテーマにさまざまな版表現を試みた作品群を堪能してきました。次に向かったのは虎ノ門にある菊池寛実記念 智美術館で開催していた「走泥社再考」展。これは14日付の朝日新聞夕刊の記事で展覧会情報を知りました。「直径約30センチの輪から細いパイプがいくつも飛び出した姿はシュールレアリスム系の彫刻や現代美術を思わせる。陶芸の伝統を離れ、ときに機能性も希薄なオブジェ陶の記念碑的作例だ。」(編集・大西若人著)これは八木一夫作陶による「ザムザ氏の散歩」で、私は幾度となく見てきた作品です。彼らが1948年京都で結成した走泥社は、その前身の四耕会を含めて、オブジェ焼と称して新しい造形表現を模索していました。私がこの動きを知ったのはずっと後のことでしたが、まだ陶で作品を作ろうという自分の思いはなく、学生時代は粘土による人体塑造に夢中になっていたのでした。それから海外生活を経て、改めて陶彫に取り組むことになった私ですが、思えば陶彫の起源は、あの頃の走泥社の試みにあったのではないかと考えています。勿論、陶による機能を持たない表現としては縄文時代の土偶も考えられますが、その時代は芸術の概念がなく、宗教や呪術として存在していたのではないでしょうか。私は学生時代に師匠の池田宗弘先生の手伝いとしてギャラリーせいほうを訪れ、そこで眼にした辻晋堂氏や速水史朗氏の陶を使った彫刻に強い関心を抱いたことが、陶彫を始める直接の契機になっていますが、それでも芸術表現としての陶彫の起源を走泥社に設定することは、強ち不自然ではないと私は考えます。「走泥社再考」展についての詳しい感想は後日改めます。