2024.08.23
先日、家内を誘って東京都港区虎ノ門にある菊池寛実記念 智美術館で開催している「走泥社再考」展の後半の展示を見に行ってきました。NOTE(ブログ)のアーカイブを見ると5月24日付の記事に「走泥社再考」展の前半の文章を掲載しています。同日の記事で私はこんなことを述べていました。「陶によるオブジェは、陶芸家として実用性のあるモノを作っていた人たちが始めた斬新な造形で、彫刻家が素材として陶を選んだ場合とは、同じ造形であってもニュアンスが異なることが私にも理解できました。私は彫刻家として陶を選んでいるので、陶によるオブジェではなく、それは陶彫に当たるわけです。それでも非実用なオブジェを作り始めた『走泥社』を私は今も変わらず評価しているのです。」後半の展示にも面白い造形があって、私は前半同様に新鮮な気持ちになって、鑑賞しか用途のないオブジェ焼を楽しんでいました。オブジェ焼の中でも私の好みは、どちらかと言えば陶彫に近い作風に惹かれてしまうのですが、器の作陶方法を利用して、作者の感覚のみで生み出していく作品は、それが土であることに拘りを持っていることが強調されていました。陶土の粗くザラついた面と化粧掛けした面が微妙なバランスを保って、壁のようなイメージを作り出している作品は、忽ち私を虜にしました。その雛型のようなサイズの作品は、大きな風景として現前された状況を鮮やかに描き出していました。私は作品の一環として土の面に構造上の穴を開けていきますが、土に穴を穿つとはどういうことかを改めて考えさせる作品もありました。土に穴が空いている様子は、まさに古代人の居住場所のようであり、そこに壮大なイメージを汲み取ることも出来ました。土を焼成すれば、人間にはどんな美意識が芽生えるのか、私の陶彫のように突き放した素材ではなく、土を愛おしむ姿勢には、私も考えされられる大事な要素がありました。「走泥社再考」展は前半も後半も通して、私にはもう一度自分の足元を見つめる機会がもらえたように感じました。