2024.08.28
「抽象芸術」(マルセル・ブリヨン著 瀧口修造・大岡信・東野芳明 訳 紀伊國屋書店)の「Ⅲ 現代抽象美学の形成 」の中で具体的な芸術家を取り上げていますが、今回の単元はフランスの画家「ロベール・ドローネー」を扱います。「キュビスムやフォーヴィズムとならんで、ドローネーのなかでは、対象の圧制から逃れようとするきわめて明確な欲求が形をなしつつあった。ただ、それはキュビストの場合のような、形態の組織的な分解とも、フォーヴにおける色の祝祭の、目くるめくばかりな爆発とも異なる方向へ向かおうとするものだった。~略~ドローネーは、みずから言っているように、《キュビスムの異端の開祖》となる。しかしかれは、印象主義だとか《装飾的》だとか非難されながらも、アポリネールがかれに呈し、かれ自身も同意した形容語、引き裂かれたキュビスムという言葉によって、なおキュビスムにつながっていた。」私は嘗てドローネーの「エッフェル塔」という油絵のシリーズを見て、この画家が何を求めていたのかを考える機会がありました。エッフェル塔が幾重にも分割され、背景と一体化した世界観は、当時パリを席巻していた様々なイズムの潮流があったとしても、私には美しく面白い世界観に見えました。ドローネーは当時どのくらい芸術的に斬新だったかというよりも、画面の分解構成の感覚を私は大変気に入っていて、今も好きな画家のひとりなのです。「ドローネーの作品のうち真に抽象的といえるのは一部分にすぎないのだが。ドローネーがつねに抽象と具象との二本道を歩んだということ、そして非常にしばしば、このふたつの傾向が交叉し、互いに影響しあったということは興味のある事実である。かれが拒絶しようとしたもの、それはかれが伝統的具象絵画とよぶところのものだった。なぜなら、かれは自分の描く形態のなかにさえ、まったく非対象的なものを感じとっていたからだ。かれは《純粋な現実》、《絶対的な現実》を追求する。この現実は、自然にはもはやなにひとつ負うところのないものであるはずだった。」今回はここまでにします。