2025.04.04
「名画を見る眼 Ⅱ」(高階秀爾著 岩波新書)の次の単元はルノワールの「ピアノの前の少女たち」とセザンヌの「温室のなかのセザンヌ夫人」を取り上げています。まず、ルノワール。「印象派時代には、モネやシスラーにならって、人物のまったくいない風景画ももちろん描いているが、艶やかな肌の下に暖かい生命の流れの脈打っている女性美をこよなく愛したルノワールは、彼自身、後に告白しているように、本質的に人物画家であった。そしてそこに、遅かれ早かれ彼が印象主義と訣別しなければならない根本的な理由があったのである。~略~『アングル様式』によって印象派に別れを告げたルノワールは、それ以後、線描によってではなく、色彩によって対象を肉付けしていく彼独特の様式を獲得する。それによって、人物は『実際に愛撫することのできる』実質的な存在感を持つと同時に、同じ色彩表現による背景ともひとつに融けあって、調和のとれた諧調を響かせることになる。1892年に描かれた『ピアノの前の少女たち』は、その最初の成果のひとつと言ってよいものなのである。」次にセザンヌ。「『温室のなかのセザンヌ夫人』の姿に見ていたものは、モネが見たような、すべてが魅惑的な光の波に覆われる世界でもなければ、ルノワールが見ていたあの熟れた果実のように暖かくみずみずしい肌の魅力でもなかった。彼が求めたものは、眼の前の対象を形づくる本質的な構造であった。すべてが一様な光の波に還元されてしまう印象派の世界のなかから、セザンヌは、対象を周囲の世界から区別する基本的な形態を求めた。そして、そのような確固とした形態を求めるということは、もはや単に視神経だけの問題ではない。それは後にブラックが、『眼は形態を歪め、精神は形態を作る』という簡潔な言葉で表現したように、自然のなかにひとつの秩序をうち立てようという精神の働きである。~略~セザンヌの描き出す世界は、風景や静物はもちろん、人物像ですら、一見まったく平凡な日常の主題なのだが、そのなかに、恐るべき色彩と形態のドラマがひそんでいる。彼が絵画の方向を大きく変えてしまったのも、実はそのドラマのないドラマの故にほかならないのである。」今回はここまでにします。