Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

週末 祈る・創る・捉える
日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。先週は運慶の仏像を鑑賞したので、ふと信仰と芸術についてNOTE(ブログ)にしようかと思ったのですが、タイトルが仰々しすぎて、論文みたいになるのを避けて、身近なコトバで「祈る・創る・捉える」ことを書いていこうと思っています。美術という概念がなかった昔の日本では、仏像は信仰の対象でした。それでもある水準に達した仏像は多くの人に敬われていたことは確かで、その水準とは何だったのか、そこに人々の美意識が働いていたと考えるのは我が国の仏像史を見ても間違いではなさそうです。美意識は美術という西洋伝来の概念以前に、人間に備わっていた能力で、古代からそうした美に近づこうと試行錯誤したのが創る行為だったのだろうと思います。全ての事象を美しいと感じる心は、脳の発達とともに人間に備わったもので、人間同士のコミュニケーションや行動をもコントロールしていると私は考えています。人間が何かに祈るという行為も古代から続いているもので、特定宗教を持たない私も、危機を感じた時は心中で何かに向かって祈り、また救済を求めてしまいます。これは信仰心と呼べるもので、宗教宗派が興る前から人間に備わっているのではないでしょうか。そうした祈る行為と創る行為が結びつき、それぞれの宗教に見られる宗派ごとの芸術作品が生まれてきたのでしょう。近代になって創る行為は宗教から切り離され、美意識そのものを主張するような時代がやってきました。私が日々やっている創作活動は、まさに美意識だけに支えられている行為で、それ以外にどんな説明要素をもたない作品なのです。祈ることと創ることは長く一体となっていたものが、近代になって創ることが独立したと捉えることは出来るでしょうか。様々な資料を読み尽くせば、それはそう短絡的なものではないと思っていますが、今日のNOTE(ブログ)は何も参考資料を頼らずに、私が仏像を見た後で博物館から自宅までの帰り道に、雑駁ながらあれこれ考えたことを記したものです。薄っぺらな捉えであることを重々承知で書いてみました。