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「記憶の政治学」について
「絵画の黄昏ーエドゥアール・マネの闘争ー」(稲賀繁美著 名古屋大学出版会)は副題を「エドゥアール・マネ没後の闘争」としています。その「第6章 美術行政と美術制度の刷新」の「3 記憶の政治学」についてまとめます。「マネ没後の20年間にマネがいかに受容されていったか、といったことではない。むしろマネの社会認知の進展をいかに描くか、その描き方そのものをどうするか、が歴史家デュレの関心事だったのであり、そこには社会のマネ認知の進度に応じ、またその先行きを見越して、読者の期待の地平に応え、その常識を満足させるようなマネの受容史を提供すべく、さまざまな取捨選択が次々に加えられていった様子が見て取れる。つまり歴史像そのもののありかたに、いわば執筆時の環境がさらなる歴史の刻印を上乗せして重ねてゆく、という意味での重層的歴史像形成の現場がここに見られるのである。」デュレはマネ擁護の第一人者であり、それだけに留まらなかったことを示す文章もありました。「デュレは『トゥリルビー』でゴシップとなった友人ホィスラーのフランス語による唯一の伝記をも、画家死去の翌年1904年に公刊している。クールベの《法話の帰り道》のスキャンダルを歴史から葬り去る作業に加担する一方で、『落選者展』のマネのスキャンダルという神話の確立に手を貸し、このホィスラー、そして印象派からセザンヌ、さらにはロートレックにファン・ゴッホといった、いわば札付きの『呪われた』ゴシップ画家たちを軒並みゴシップから救出し、『現代生活の画家』という今日の英雄へと仕立て直した後半生の『歴史家』デュレ。そのデュレ自身が最晩年には最後の歴史の生き証人として『神話化』され、一種後光の射す人物のように神格化されてしまったことも、この間の台所事情を裏付ける。」私が知っている表層的な歴史観は、美学的な土俵でのアカデミズムに対する近代主義の勝利と、極めて短絡的に考えていましたが、歴史はそんなに平坦なものではなく、紆余曲折があって現在もその実体を把握すべく研究が続けられているようです。次回は最後の単元になります。いよいよオルセー美術館が登場してきます。