2025.04.02
「名画を見る眼 Ⅰ」(高階秀爾著 岩波新書)の次の単元はターナーの「国会議事堂の火災」とクールベの「画家のアトリエ」を取り上げています。「ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851)は、19世紀の美術の歴史の上で、いささか奇妙な位置を占めている。彼は、ある意味では印象派の先駆者であり、近代への扉を開いた重要な芸術家であるが、他面、ロマン派的心情を多分に備えた伝統主義者でもあった。~略~ターナーは、明るい自然の風景を前にしても、いったんそれを自己の内面のフィルターを通して一定の色調に統一しないではいられなかった。われわれがターナーの多彩な世界について語る時、問題となっているのは、実は、かぎられた色彩のなかにおける無限のヴァリエーションにほかならない。彼の画面の持つ華やかさは、たった一本の綱の上でさまざまな変化を見せる曲芸師の妙技に似ている。それは、どんなに変化しても、彼固有の色彩世界から離れることはないからである。そして、この『国会議事堂の火災』にその端的な例が見られるように、自己の色彩世界の顕現に適した主題を得た場合、その世界が奔放な生命力を得ることになる。」次にクールベです。「鼻っ柱の強さと、当時の市民社会を告発するような社会主義的作品のために、クールベは19世紀における最初の反逆者のひとりに数えられているが、しかし表現技法の上から言えば、彼の作品はまだまだ伝統的であって、決して反逆者でも革新者でもない。従来の絵画表現をすっかり変えてしまう近代絵画の革命は、マネによって幕を開けられることとなるので、クールベは思想的には急進派であったが、画家としては、ルネサンス以来の絵画の表現技法を集大成してそれを徹底的に応用した伝統派であった。しかし、おそらく、この矛盾した性格こそがクールベの本質であり、われわれが今なお彼の作品に惹きつけられる理由であろう。この『画家のアトリエ』にしても、そこに盛りこまれたプルードン的『寓意』などは、今では何ほどの興味も呼びさまさない。だが、どっしりした肉体の重みと豊かな生命力を感じさせる裸婦をはじめ、制作中の風景画や後ろ向きの少年、狩人のそばにいる猟犬などは、その力強い実在感と絵具の肌の輝きによって、われわれを魅了してやまない。『現実的な寓意』を描こうとしてこの大作に取り組んだクールベが生み出したものは、結局『寓意的な現実』にほかならなかった。だがクールベは、それによって救われたのである。」今回はここまでにします。