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「抽象絵画への道」について
「近代絵画史(下)」(高階秀爾著 中公新書)の「第24章 抽象絵画への道」について気になったところをピックアップしていきます。本書はこれが最後になります。「抽象絵画が歴史のなかに市民権を認められるようになってから、多くの人々がこれら世紀末の画家たちに抽象の先駆を求めるようになったのも、当然のことであった。ただそれらは、あくまでも『先駆』であって、意識的な抽象表現の追求ではなかった。ゴーギャンのいう『抽象』にしても、ドニの『色彩で覆われた平坦な面』にしても、現実の対象から完全に切り離されたものではなかった。少なくとも彼らは、『抽象』や『平坦な色面』を語った時、モンドリアンやドローネのような世界を予想していたわけではない。あらゆる再現的なものへの暗示を拒否した文字どおりの抽象絵画が歴史の仲間入りをしてくるのは、20世紀のことなのである。」抽象絵画の代表格として2人の画家を取り上げます。まず、ドローネ。「ドローネが、印象派を思わせるような明るい原色を自由に駆使して『窓』から見えるパリ風景などを描き出していたため、モンマルトルの仲間たちは彼のことを『印象派への逆行』と非難したが、しかし、ドローネが印象派の色彩表現に強く惹かれたことは事実としても、彼の『窓』はもちろんモネの『自然に向かって開かれた窓』ではなく、さまざまな色彩がそれ自身の法則にしたがっておたがいに響き合い、高め合う豊麗な交響的世界なのである。」次はモンドリアン。「モンドリアンにとっては、色彩も、ゴッホやフォーヴの画家たちにおいてそうであったようにそれ自体の表現力を主張するものではなく、あくまでも全体の『均衡』になかでしかるべき位置を与えられることによってはじめてその役割を発揮するものである。その結果生まれてくる『純粋な色と線との純粋な関係』こそが、彼にとっての『純粋な美』の世界なのである。モンドリアンのこのいささか厳し過ぎるほどの『理論』は、1920年代から30年代にかけての彼の最も幾何学的な作品群のなかに見事に造形化されているが、しかし彼自身は、その後晩年にいたって、とくに第二次大戦の危機とともにイギリスを経てアメリカに渡ってから、《ブロードウェイ・ブギー・ウギー》に見られるようにその『理論』の厳しさを柔らげ、あらためて感覚的な喜びに身を委ねるようになっていった。」今回はここまでにします。