Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「ミケランジェロ」について・6
「芸術家列伝3」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 田中英道・森雅彦訳)の「ミケランジェロ」について、幾つかに分けて気に留まった箇所をピックアップしていきます。まず「メディチ公の墓廟」についてです。「だれもがさらに感嘆させられたのは、ジュリアーノ公およびロレンツォ・デ・メディチ公の墓廟である。その制作を構想するに際して、彼は、大地だけでは彼らの偉大さに対して誉ある墓廟を与えるのに十分ではないと考え、世界のあらゆる部分、四つの彫像ーその一方に彼は『夜』と『昼』を、他方には『曙』と『夕』を置いたーがそれを取り巻き、彼の墓所をおおうようにしたのである。これらの彫像は、仕草のいとも美しい形態や念入りな筋肉の扱い方によって、たとえ彫刻術の伝統が失われようとも、それを元の光明に戻すに十分なほどである。他の彫刻にまじって、二体の武装した統治者がある。一方は思慮深い容貌をした思索家ロレンツォ公で~略~もう一方はジュリアーノ公で~略~いとも神々しい。」次にシスティーナ礼拝堂にある「最後の審判」です。「ミケランジェロは、パウルス法王が見にきたときにはすでに作品の四分の三以上を仕上げていた。その際、法王のお供で礼拝堂にいた儀典長の謹厳居士たるピアージョ・ダ・チュゼーナ氏は、どう思うかと聞かれたので、いとも荘厳な場所にたくさんの裸体像を描いたのはなんとも不敬なことだ、裸体像はふまじめにもその恥ずかしいところまで見せている、法王礼拝堂用の作品ではなく、風呂屋か宿屋むきの作品だ、と言った。おかげでミケランジェロは不愉快になった。それで報復してやろうと思い、彼が出ていくや、以前には別に彼を見たことなどなかったのに、地獄のミノスの姿にして、実物大に描きこんだのである。~略~さてこの頃のミケランジェロは、この仕事用の高い足場から落ちたことがあった。それで脚を痛めたのだが、苦痛と怒りから、だれにも治療してもらおうとしなかった。そこで、当時彼の友人で、機転のきく医者であり、また彼の才能にも大いに敬服している人物であったバッチョ・ロンティー二先生なるフィレンツェ人が、彼を案じ、ある日家を訪ねていった。~略~ミケランジェロはやけくそになっていたので、バッチョ先生は、全快するまで決して彼を見捨てようとはせず、そばを離れなかったのである。彼はこの傷が回復するや、仕事に戻った。そして引き続きこれに専心し、2,3カ月で最終完成にまでもっていった。彼は制作した絵にたいへんな力を注いだので、ダンテの言葉『死せる者は死せる者のごとく、生ける者は生ける者のごとくなりき』を立証したほどである。」今回はここまでにします。