Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「『聖ルカの聖母』のイコン」について
「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第3章 イエズス会のアジア布教とその美術政策」は3つの単元から成っていて、今回は「3イエズス会と『聖ルカの聖母』のイコン」について取り上げます。「聖ルカがマリアの肖像を描いたという説には無論歴史的な根拠はない。レオーはこの聖堂のイコンは、科学的検査によってそれが12世紀のものだと証明されたと述べている。しかし、聖性をそれ自体が具有するというイコンの形成にあたって、人の手によって描かれたものではない、聖なる起源をもつイメージの存在が不可欠であったとハンス・ベルティングは考察する。~略~ルカの描いたとされるイコンはテオトコスの神聖な原型と見なされた。教皇シクストゥス三世は公会議を記念して、聖母像への崇敬を示すために、古いバジリカを改築させた。これが現在のサンタ・マリア・マッジョーレである。中世を通じてこの聖母は数々の奇蹟を起こしたと記録は伝える。590年、大グレゴリウス教皇が、疫病を平定するために聖母のイコンをかかげてローマで行列を行なったところ、後にカステル・サンタンジェロ(聖天使城)と呼ばれることになった遺跡の上に大天使ミカエルが血に染まった剣をもって出現し、疫病を平定したということである。」聖イコンの崇敬用祭壇は、教会のもっとも格式の高いところに設置されていて、イタリアを旅した当時の私はそんなことに注意を払っていなかったので、何となく雰囲気を感じているだけでした。時代と共に宗教画を描く芸術家も変遷し、私にも馴染みのある画家が登場してきます。「芸術家の世代はすでに1580年代半ばに交替しており、サンタ・マリア・イン・ヴァッリチェッラ聖堂では、中世のイコンを支える祭壇画はルーベンスが、サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂では、主祭壇脇のチェラージ礼拝堂に、アンニーバレ・カラッチとカラヴァッジョが油彩画を描いている。つまり、この時期には、後代マニエリスムと呼ばれたり、初期バロックと呼ばれたりする画家らが同一のコンセプトで、同じ聖堂でともに働いていた。違いはただその様式であって、前者が観念的で、後者が感覚的な様式で描いたという点にある。」今回はここまでにします。