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庄司利音さんの「祭りの金魚」
詩人の庄司利音さんとは最近知り合いました。「祭りの金魚」(新風舎)に描かれている利音ワールドに、自分の感覚が忽ち反応してしまい、綴られているコトバひとつひとつが蠢いている錯覚を持ちました。詩全体を通して命を謳いあげているせいかもしれませんが、自分の彫刻「発掘~混在~」にしても、利音さんのコトバを借りれば「地球そのものの命」を感じてくださったようで、本書には命の大小を問わず、生きとし生きるモノたちの不思議や自然への畏敬が述べられています。あとがきに「頭の中に洗面器があってそれに水がたまってきてだんだんいっぱいになってきて、重くてくらくらしてくるようで、それで頭をかしげて水をこぼすような、そんな感じで詩をかいているようなところがあります。」と書かれていて、実際に利音さんにお会いしてみると、利音さんが喋るコトバと綴られたコトバが一致しているのを改めて感じました。詩はほとんど手直しをしないと言っていましたが、成程その通りの人だと思いました。詩はコトバの説明的要素を剥ぎ取り、その組み合わせによってイメージを作り出すものと考えます。組み合わせの発想で心の琴線に触れる世界が現れます。人によっては独特な感性をもって発想し、その妙によって心にストンと落ちてくるモノがあるのです。自分は多くの詩から感覚が震える体験を与えられました。自分もコトバを表現媒体とする世界を試みていますが、自分は今だコトバを操るのが困難です。利音さんの詩を読んでいると、詩は技巧的に作り出すものではなくて、自分の発するコトバから生み出されてくるものと思えます。コトバで頭が溢れることが自分にもあるのでしょうか。カタチで頭が溢れることは自分には日常茶飯なことなのですが…。