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悲劇の誕生から死、そして再生
「悲劇の誕生から死、そして再生」という表題を掲げましたが、現在読んでいる「悲劇の誕生」(ニーチェ著 秋山英夫訳 岩波書店)にこんな文章があります。「ギリシャ悲劇の発生史は、ギリシャ人の悲劇的芸術作品が実際に音楽の精髄から生まれ出たことを、はっきりわれわれに語っているのである。またそう考え始めて、合唱団の根源の意味、まことに驚嘆すべきその意味も正しくつかめたことになると、われわれは思うのである。」という箇所は悲劇の誕生を要約しています。続く文章でソクラテスの芸術に対する対蹠的関係があって悲劇が死を迎える箇所を描いています。「われわれが当面する問題は、その対抗作用によって悲劇を滅ぼしたあの力が、いつの時代でも、悲劇ならびに悲劇的世界観が芸術的にふたたびめざめることを防げるほどの強さを持っているかどうかということだ。古代の悲劇は、知識ならびに科学の楽天主義に対する弁証法的衝動によって、その軌道から押し出されてしまったのであるが、われわれはこの事実から、理論的世界観と悲劇的世界観が永遠に戦うものであるという結論を引き出すことができよう。」さらにその先に続く文章では芸術の再生となるドイツ音楽や哲学について書かれています。「ドイツ音楽こそ、あらゆるわれわれの文化のただ中で、唯一に純粋清浄な、しかも浄化するはたらきをもった火の精だからだ。~略~われわれがこんにち文化・教養・文明と呼ぶすべてのものは、いつかこの誤ることのない審判者ディオニュソスの前に立たねばならないだろう。~略~同じ源泉から流れ出たドイツ哲学の精神に、どういうことができたかを思い出してみよう。科学的ソクラテス主義の満足した存在のよろこびを、カントとショーペンハウアーはその限界を指摘することで否定したのである。またこの指摘によって、われわれがまさに概念的に把握されたディオニュソス的知恵と呼びうるような見方、倫理的問題や芸術に対する無限に深く無限にまじめな見方がみちびき入れられたのである。」ギリシャ文化からドイツに飛躍して、ドイツ音楽の優越性を表明している箇所です。思想史として見れば甚だ偏った見方とも言えますが、問題提示の大家であったニーチェをよく表しているところでもあります。