Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」
現在、国立西洋美術館で開催中の「クラーナハ展」に展示されている絵画「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」の前で私は足を止めました。同じようなポーズを持つ作品に「ホロフェルネスの首を持つユディト」という絵画があって、こちらの方はポスターにもなっていて、多くの鑑賞者が群がり、大変盛況でした。ユディトの方は悪魔を打ち負かせたマリアとも称されて美徳を表しているそうですが、一方で女の企みと解釈されていて、描かれた内容を議論する楽しさがあります。「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」は、ユディトのように美徳を賛美するヒロインのイメージはなく、女性の残忍さの化身を表しています。サロメの物語は有名で、私もウィーン滞在中に何度も国立歌劇場で上演されたR・シュトラウス作曲による歌劇「サロメ」を観ました。実はウィーンに到着して間もない頃、人に勧められて初めて観たのが「サロメ」でした。暗い舞台に展開する過激な物語に、オペラとは何とキツいものだろうと辟易したのを覚えています。そのうち楽しいオペレッタを知って気分はいくぶん回復傾向にありましたが、R・ヴァーグナーの「リング」連作を観て、再び奈落の底に落ちていきました。そうした当時の鬱蒼とした気分がクラーナハの絵画と重なり、「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」を見つけた時に、憂鬱な想い出が甦ってきたのでした。でも今回は東京でサロメに遭遇したので、ダークな気分にはなりませんでした。聖書にある西欧民族の血生臭さを、防御ガラス越しに観るような感覚でした。アウエーで観る絵画は、触れてくる皮膚感が違うものだなぁと感じられた一場面でした。それにしても聖書にはさまざまな寓話が盛り込まれていて、異教徒である自分には憧れにも似たエキゾティズムを感じます。「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」には男の生首が描かれていて、ゾッとすると同時に、肉体に関しての文化の相違を感じてしまいます。「クラーナハ展」に出かけた日は、円山応挙や葛飾北斎を見た後だったので、なおさら西洋の絵画空間の捉えや構図の用い方が浮き彫りになったように思えます。ただし、秀逸な作品は洋の東西を問わず心に残るものだと思いました。