Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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会えずに他界した叔父に…
先日、1通の封書が自宅に届きました。母宛の手紙でしたが、差出人は母方の甥にあたる人でした。母の弟、つまり私にとっては叔父ですが、7月末に病気で亡くなり、8月に先祖の墓に埋葬をしたという内容でした。NOTE(ブログ)は私の記録でもあるので、親戚が亡くなった場合には必ず書くようにしています。叔父は理由があって遠くで暮らしていました。叔父の子どもたちは叔父のことをよく知らず、遺骨だけ引き取ったようです。私は幼い頃から叔父によく遊んでもらっていた関係で、叔父とは親しい間柄でした。私が生まれたところは、横浜と言えども農村地帯で、周囲には田畑が広がっていました。母は東京蒲田で生まれていたので、母からすればよくぞこんな田舎に嫁いだものだと思っていました。母の実家は和菓子屋をやっていて、向かいには映画館があったというのですから、嫁ぎ先でのカルチャーショックは大きかったではないかと察します。母の実家は蒲田を引き上げて、横浜の中心(西区)にやってきていました。その頃の私は、横浜の街中で叔父と遊んでもらっていたのでした。舗装された道路が珍しかった時代で、道路にチョークで絵を描いて遊びました。母方の祖父に商店街にあるおもちゃ屋で電気仕掛けのロボットをねだったりしました。クリスマスにそのロボットが届いた時は、祖父はサンタクロースなんだと本気で信じていました。そんな思い出の中に叔父がいました。その叔父とは30年以上も疎遠になっていたので、叔父がどんな生涯を送ったのか、私にはわかりません。ただただ冥福を祈るだけですが、久保山にある先祖の墓に入れたことで、叔父は安らかに眠れているのではないかと思っています。