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「アフタヌーン・インタヴューズ」・Ⅱについて
「アフタヌーン・インタヴューズ」(マルセル・デュシャン カルヴィン・トムキンズ聞き手 中野勉訳 河出書房新社)・Ⅱのまとめを行います。ここではM・デュシャンの作品発想の鍵となった「コーヒー挽き」からインタヴューを始めています。「できあがってみると、客観的で具体的なコーヒー挽きをつくるんじゃあなくって、その仕掛けを記述するってことをやったわけです。歯車があって、回転ハンドルがてっぺんにあって、それから矢印を使ってどっちの方向にハンドルが回るかを示したんで、なのでこの中には、運動というアイデアがもうある。それにプラスして、ふたつの部分から機械を組み立てるというアイデア、あとになって、〈大ガラス〉の中に出てきたものの源です。」次にチャンス・オペレーション(偶然に基づく操作・制作)に話が移ります。「チャンスの任務というのは、わたしらの中の、理性的な部分を超えた、ユニークで不確定なものを表現すること。」という答弁に対し、聞き手は「あなたの頭の中でチャンスというのは、あなたの頭が及ぼしてくるコントロールを避けることを、理性的に表現したものである、と。」と解説を加えていました。それがレディメイドの基礎になっているようで、次の展開に続きます。「レディメイドの選択が、美的な歓びを受け取った結果だったことは一度もなかったという話。別の言葉でいえば、見た目が素敵だったとか、芸術的だったとか、わたしの趣味に適っていたとかいった理由で選んだんじゃあないということです。」それではM・デュシャンにとってアートとは何か、こんなことも言っています。「人がアートのことを、すごく宗教めいたレベルで喋々したりするときは、自分に対して心の中で、崇め奉るのに値するようなところなんざアートにはろくろくありゃしないんだ、と説明しようとします。麻薬ですよ。~略~アーティストが自分のアートを見るってだけじゃあ足りない。誰かがそれを観るんでなくちゃあならない。わたしは見物人に、アーティストよりも大きな重要性を与えている、と言ったってかまわない。だって見物人はただ見るだけじゃあなくて、判断を与えるんだから。」M・デュシャンが自分自身について話している箇所も引用しておきます。「わたしがデカルト的な精神の持ち主だもんだから、何であれ受け入れるのを拒否して、何もかも疑ったという、その事実のせいなんじゃあないかな。そんなだから、何もかも疑う中で、どんなでもいいが何かを産み出したいとなったら、わたしにいっさい疑いを抱かせないような何かを見つけなきゃあならなかった。」新しい芸術概念はこうして生まれたのでした。