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「アフタヌーン・インタヴューズ」・Ⅲについて
「アフタヌーン・インタヴューズ」(マルセル・デュシャン カルヴィン・トムキンズ聞き手 中野勉訳 河出書房新社)・Ⅲのまとめを行います。この章でインタヴューは終了していますが、その中で今回はM・デュシャンの代表作というべき2点の作品について取り上げます。1点目は「階段を下りる裸体」という絵画作品です。「運動というアイデア、階段を降りてくる女性ってアイデアは、まるで連中(キュビスト)の気に入らなかった。それに、同じころ未来主義者たちがその手のことをやっていたのを知っていたかもわからん。わたしは知りませんでしたし、未来主義者は当時、パリで展覧会をしたことはなかった。」キュビズムに関してはこんなことも言っています。「完全に静態的だった。それに、静態的であることを自慢にしていた。ひっきりなしに、いろいろ違う断面からモノを示してみせるんだが、それは運動じゃあなかった。おおよそ、対象の面をすべていっぺんに見るという、一種四次元的な発想だった。」2点目は「大ガラス」と呼ばれる作品で、日本語の題名は「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」と称されていて、本作品は移動中にガラスが割れてしまったのですが、それも作品の意図として受け入れたものが現在アメリカに残っています。「わたしにしたら、キャンヴァスと油絵具ってのはここ九世紀間で実に濫用されてきた道具だったんで、そこから逃げ出して、何か違うことを表現するチャンスを自分に与えたかった。そのとき〈ガラス〉のアイデアが出てきたわけです。」さらに「大ガラス」には着手前から制作過程に至るまでの断片的なメモ「グリーン・ボックス」があります。「飛び散りとかいうようなのはみんな、絵に描いてあるんじゃあなくて、絵画的に記述してあるんです。〈ガラス〉と本とは非常につながっている。つながっているだけじゃあなくて、おたがいのためにつくってある。~略~〈ガラス〉の部品という部品、セクションというセクションが、何のためにやってあるのかを、文学的な形式ですべて記述した説明です。~略~それは『グリーン・ボックス』というかたちを取った。〈ガラス〉のために特別にこしらえたものです。」思索された世界を視覚と文学の双方の形式によって表現した作品が「大ガラス」でした。私が魅力を感じる要素がこんなところにあるのかなぁと思った次第です。