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復元された建築家の邸宅
夏季休暇を利用して東京都小金井市にある「江戸東京たてもの園」に行き、野外展示されていた建造物の中に復元された建築家前川國男邸があったので見てきました。前川邸は木造のモダンな佇まいで、板壁の素材感に私の感性が擽られました。第二次世界大戦があった当時にも関わらず、よくぞこんな資材が手に入ったなぁと思わせるほどの完成度で、日本を代表する建築家宅に相応しい風格を感じさせてくれました。「江戸東京たてもの園」のギャラリーショップで「前川國男邸復元工事報告書」を見つけたので購入してきました。報告書の中の概説から引用いたします。「昭和17年頃は戦時体制下で、建築資材の入手が困難であったり、または使用を制限されている時期であった。~略~1973年(昭和46)に前川國男邸は解体され、軽井沢にあった父の代に建てた別荘に運ばれ、部材として保存された。~略~1994年(平成6)七月頃、前川國男邸が部材として軽井沢の別荘に保存されていることを知った東京都江戸東京博物館野外収蔵委員会委員である藤森照信氏より江戸東京たてもの園の収蔵建造物としてどうかという連絡があった。」(早川典子著)これが前川國男邸が復元保存された経緯です。前川國男は東大で建築を学んだ後、フランスでル・コルビュジエに師事しています。その影響が読み取れる座談会が報告書に記載されていました。「戦前の段階ですと、バウハウスのデザインを継いだ人たちが日本でも主流だったんです。~略~要するにバウハウスのデザインの非常に禁欲的で、当時の言葉で言いますと、箱とガラスのような非常に禁欲的なデザインをやっていたわけです。むしろその中では~略~コルビュジエの影響を受けた人たちというのはむしろ少数派であったわけです。むしろその少数派が戦後に、日本の場合、世界的に見ると非常に特異な例ですけれども、主流になっていった。おそらくその大きな力になったのが前川さんだと思います。」(藤森照信談)座談会では前川國男邸から話の端を発し、戦後日本の建築界の流れまで盛り込まれていて、大変興味のある内容になっていました。