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映画「異端の鳥」雑感
先日、川崎駅前にある映画館TOHOシネマズへ「異端の鳥」を観に行ってきました。本作を私は新聞で知りましたが、上映館が少ないため自宅近くの映画館を探して、しかも深夜の時間帯に行ってきたのでした。家内が同伴してくれましたが、「少年の心が迫害によって失われていく物語」と家内は評していて、この映画は好きになれないと言っていました。私は本作がモノクロ映像だったために、この映画が商業性を狙っていないことや、謂れのない虐待がどこからくるのかを真剣に考える契機になって、実に印象深い作品だったと思いました。図録によると「第二次大戦中、ナチスのホロコーストから逃れるために、たった一人で田舎に疎開した少年が差別と迫害に抗い、想像を絶する大自然と格闘しながら強く生き抜く姿と、異物である少年を徹底的に攻撃する”普通の人々”を赤裸々に描いた」とありました。題名を象徴するものとして、少年が身を寄せた鳥売りの男の行為が挙げられます。「戯れに、ペンキを塗った小鳥を空に放した。群れの鳥たちと合流しようとする小鳥だったが、色を塗られた鳥は群れの仲間たちにとってもはや”異質な存在”だった。小鳥は突かれ羽を捥がれ、無残な姿で地面に墜落する。」この場面を少年は自分に重ねていたのかもしれません。度重なる人間のもつ闇を体現し、自らも犯罪に染まっていく少年。でも決して弱いわけではなく、少年には逞しさが備わっていきました。司祭に少年が拾われた際には、宗教も客観性をもって描かれていました。監督インタビューでこんな語りがありました。「この物語は悪についての探求、反対に、善、共感、愛でもある。これらが存在しない場合、我々は必然的にその価値に目を向ける。『異端の鳥』で善と愛を垣間見るとき、これらの本質に感謝し、より多く求める。これは、人間が善を求めているという映画のポジティヴなメッセージである。~略~原作でも映画でも、少年は戦争を生き抜き、荒廃したヨーロッパをさまよい、両親を失った数十万人の子供たちの代表であり、ある種の象徴だ。そして、それは今世界中で軍事紛争が進行している場所どこでも同じである。」いじめや虐待や迫害は現代にも通じる負の部分で、今も黙して語らぬ人々がいることを実感しました。